大井川通信

大井川あたりの事ども

富貴寺大堂を観る

妻の送り迎えで国東半島に行く。メタルアートの先生のアトリエで、べっ甲アクセサリーのワークショップがあるためだが、その待ち時間、僕に自由時間ができた。国東半島は若い頃から好きで、何度も来ているので、いざ自由行動できるとなると行先に困る。そこで富貴寺に行ってみることにした。

先日、東京国立博物館金色堂展を観たので、あらためて平安建築の阿弥陀堂を観たいと思ったのだ。今まで何度か訪ねているが、今回も期待を裏切らなかった。

材が太く、作りが粗削りで堂々としている。規模は小さいが「大堂」と名づけられた理由がわかるような気がする。外回りの柱は太い角柱で、大きく面取りがしてあり迫力がある。中世以降の建築のように、穴を開けたり溝を掘ったりして柱を器用につなげたりはしていない。太い横材(長押・なげし)を柱の上部と足元にバンバンと打ち付けてあるだけだ。軒もおおきな舟肘木で支えられておりシンプルだが力強い。

軒から上は近年復元されたものだそうだが、優美に反った垂木と屋根の形状には少し違和感がある。素人考えだが、もっと直線的な意匠の方が、この大堂には似合いそうな気がする。

内部に入ると、内陣は丸い四本の柱(四天柱)で支えられ、天井も一段高くなっている。阿弥陀仏の周囲の壁や柱には、極彩色の浄土図が描かれており、今でもかすかにそれらを見て取ることができる。板壁と板戸で囲まれた堂内は閉鎖的で暗く、浄土図のほかには目を奪われるような意匠に乏しいから、浄土の世界に深く没入できるだろう。

平面は、前面が三間、奥行きが四間の縦長で、内陣の柱筋は外陣とはズレていて、外陣前方の空間が広くなっているのが、平安末のこの堂の工夫だ。今は仕切りが設置してあるから、内陣の周囲をめぐることはできない。

富貴寺を出た後、国東半島の中心に近い両子寺(ふたごじ)に向かう。ここで富貴寺大堂とそっくりな建物に偶然出会った。平成に再建された大講堂である。その名称とは異なり、阿弥陀三尊をまつった阿弥陀堂である。国東で阿弥陀堂を作るならやはり富貴寺をモデルにするだろう。さすがにやや線が細いものの、違いは外回りの柱が角柱でなく円柱であることと、組物が舟肘木でなく平三斗であることくらいだ。

堂内の印象も富貴寺と変わらず、内陣の壁画は極彩色の浄土図で、ここでは内陣の周囲を自由に歩くことができる。かつて阿弥陀堂では、阿弥陀仏の回りを歩きながら念仏する行がおこなわれていたという。僕は人がいないことを幸い、念仏を唱えながら、外陣を何周も歩いた。あこがれの空間体験が、思わず富貴寺大堂とそっくりな堂内で実現したのだ。