大井川通信

大井川あたりの事ども

『清沢満之集』 安冨信哉編 2012

3月にマイケル・コンウェイ先生の講義を聞いて、浄土真宗についてあらためて刺激を受けたことをきっかけに、休みの日に短文を一つずつゆっくり読み進めて、ようやく読み終わった。

清沢満之とは、2001年に今村先生の編集で唐突に出版された『現代語訳清沢満之語録』(500頁近くある)を一気に読んでからの付き合いとなる。2006年の安部さんとの最初の勉強会のテーマも清沢満之だった。

ヨーロッパの現代思想を主戦場としていた今村先生が専門外の仏教哲学者に引き付けられ、大部の清沢論を書き上げたり、全集の編集に携わったりした理由についてはよくわからない。ただ、僕がかろうじて清沢満之を読み続けている理由ははっきりしている。

清沢の書くものが、きわめて明晰で簡潔であるためだ。しかも理屈のための理屈ではない。生活を背景として、考えることと生きることが一体になっている。そうして、明晰で簡潔な、必要最小限の言葉で、鋭く直に無限(神)を指さして見せる。

僕はこんな文章を始めて知って驚いた。清澤の文章には、仏教や東洋思想、あるいは西欧哲学の教養を背景として、様々な語彙が散りばめられてるが、仏典の引用やその解釈(仏教書ではきわめて多いもの)がほとんどない。自分の頭で考えたものがストレートに表出される。その先にあるのは、常に無限(阿弥陀仏)だ。

僕は、この先おそらくあまり時間が残されていないだけでなく、精神的、身体的な資源にもそれほど余力はないだろう。そんななかで、清澤満之の思考に親しんでいることは、僕の限られた手持ちの武器の一つである。今のところ清沢を軸にした仏教理解と、仏教と比較しての金光教の理解と信仰を自分のテーマにしたいと考えている。