大井川通信

大井川あたりの事ども

『人びとの自然再生』 宮内泰介 2017

タイトルの頭には、やや小さな活字で「歩く、見る、聞く」の文言が入っている。

岩波新書の一冊で、帯やカバーには本書のポイントが広告されているし、このタイトルからしてよい本であるのはわかっていた。明らかに僕の問題意識にかなう内容だ。それで、出版当時には同じ本を二冊買ってしまうミスを犯した。そんなことはめったにない。

書棚の奥に埋もれていたわけではなく、読もう読もうと思って職場に持参したりするなど常に目につく場所に置いていたはずだ。それでも今回実際に手に取って読み通すのに、出版から6年近くかかってしまった。読めば合間合間で数日で読める内容にもかかわらず。

こんなことをぐちぐちと書くのは、この本があまりにも素晴らしかったからだ。いい本に出合って、これは大井川歩きの教科書や参考書になると思うことは時々あるが、それはあくまで特定の分野の専門知識や考察の深さに感心した上でのことだ。

本書には、大井川歩きの構想全体をカバーするような理論的枠組みと哲学的な考察が、じつに簡潔に具体的に誰にもわかりやすく描かれている。あまり見事な著作なので、落ち込んでしまったほどだ。大井川歩きにオリジナリティなどないと気づかされて。

大井川歩きの持ち味は、身近な地域の自然と社会と歴史とを一体のものとしてかかわるために、歩きながら観察し、出会った人たちの話を聞くことにある。本書は、この方法論を詳細かつ的確に描き出すだけでなく、全国の事例をとりあげて、人と自然との関係を再構築するための普遍的な方法であることを述べている。

けちなオリジナリティにこだわらなければ、これはとても勇気づけられる提言だ。さらに、自分の取り組みに何が足りないかを照らし出してくれる。オリジナリティなんて言葉が出てくるあたり、僕の方法は個人主義的で、傍観者的で、閉鎖的すぎるのだ。

こんな宝の持ち腐れをしていたなんて、いかにものろまな僕らしい。しかし5年の時間を無駄にするような余裕は、もう僕にはないだろう。最後に、本書のブリリアントな結論部を引用する。

 

そこに住む人たちが、自分たちで聞き、歩き、調べ、自分たちで決める。地域固有な歴史や多様な価値観に配慮しながら、試行錯誤を繰り返す。地域の人たちと、感受性をもった外部者とが協働し、「聞く」という営みを中心に据えながら、人と自然の関係を作り直していく。そうしたローカルで確実ないとなみによって、大きな物語におしつぶされない、自分たちの物語、人と自然の物語を組み直すことができる。(196頁)