大井川通信

大井川あたりの事ども

里山の三社参り

元日の夜には、近辺の村社(村の鎮守)の三社参りをしたから、新年最初の連休で、里山の神様への初詣をすることにした。

参道の入り口で、農作業するひろちゃんの娘さんに新年のあいさつ。ヒラトモ様への林道は枯れた竹にふさがれて通行できない部分がある。尾根に迂回して、なんとか山のふもとに抜けたが、いつまで歩けることやら。山の急斜面は雑木が生えているためか雑草も生えず、意外と歩きやすい。

石のホコラの落ち葉を払い、お供えの木の根を並び直し、新しいお酒を献上する。今年は故事にならい、新しい木刀を奉納することを思いつく。

翌日は、マスマルから入って、ミロク様を目指す。初めて見つけた時には植林の中にポツンとホコラがあって違和感があったが、今ではシダの雑草に埋もれかけている。もう植林の草刈りも行われていないのだろう。周囲の雑草を踏み倒してお参りするが、このままでは近づくことも難しくなりそうだ。

里に下りてから、薬師堂の前で、散歩中の近所の御婦人と世間話。今度は大井林道に回って、クロスミ様をめざす。途中、子犬を連れて、モチヤマ側から上ってきた男の人に出会ってあいさつする。

クロスミ様にも、お酒の小瓶を献納。クロスミ様への参道の山道は、数年前にきれいになって驚いたが、ますます整備が行き届いて歩きやすくなっている。雑草どころか落葉さえない。モチヤマに降りたあとに、村人に思わず感謝を伝えてしまう。

モチヤマを千年守る阿弥陀様にも年始の挨拶。思わず、南無阿弥陀仏を唱える。阿弥陀仏は実在するのでなくシンボルだという羽田先生の言葉が思い出される。人が「祈る」ためには、フィクションが必要なのだ。

大井ダムの脇の道で、逆のコースをたどってきた先ほどの子犬と飼い主に出会う。ちょっとした縁がうれしい。大井ダムを囲む里山にはソーラーパネルが輝き、ローラーボードの練習場が出来ている。これもまた歴史だと、歯を食いしばって歩く。