大井川通信

大井川あたりの事ども

『花ざかりの森・憂国』 三島由紀夫 1968

新潮文庫に入っている自選短編集。読書会の課題図書で読む。

三島自身の自己解説を読むと、その内容と技術にはかなり得意な様子がうかがえる。また三島自身がその思想や生き方で、さまざまな論点を提示している人だから、読書会での議論も、その論点を取り上げることで盛り上がった。

ただ、なんだろう、この諸短編の小説としての面白く無さというのは。

もちろん、読者を喜ばすような様々なテーマや、作者本人にとって大切なモチーフが語られているのはわかる。語彙も豊富で文章も上手だ。ただ、小説として何とも薄っぺらくて、読むにたえないような気すらするのだ。

たとえば、『百万円煎餅』という短編では、ストリップの「白黒ショー」を商売にしている若い夫婦の意外に堅実な暮らしぶりと人柄を描いて、そのギャップを肝にしているのだろうが、まるで面白くない。小説として成立しているかも疑問なほどに。その原因は、作者自身にこの夫婦に対する同情や共感がおそらく皆無だからだろう。人物も世界も芝居の書割めいて少しも生きて立ち上がってこないのだ。

文章や構成にたくみな技術があっても、小説に命を吹き込む大切な何かが欠けているという感じは、渾身の作であるはずの『憂国』にも濃厚だ。

こういういわくいいがたい感想は、読書会で共有されることはまずない。読書会は、分かりやすく目立つ論点で議論がどんどん先行してしまう場所だからだ。今回は、知人の一人とこんな感想を共有することができたので、自分一人の的外れな感想ではないかという疑いを免れることができた。僥倖というべきか。