大井川通信

大井川あたりの事ども

『テロルの原点』 中島岳志 2023

朝日平吾の鬱屈』(2009)の加筆修正文庫版。

1921年(大正10年)に一代で財閥を作り上げた富豪安田善次郎を襲って自決した朝日平吾(1890-1921)の足跡と内面を追ったドキュメンタリー。朝日のテロは、原敬首相暗殺の連鎖を呼び、1930年代のテロリズムの発火点となった。橋川文三の論に刺激を受けて、著者は、朝日の鬱屈(実存的不安)の正体を探っていく。そして現在、同様の鬱屈が社会に広がり、テロへと結びつく危険性が高まっていると警鐘を鳴らす。

今回の文庫化は、2022年の安倍首相殺害事件によって、原著での予見が的中してしまったことがきっかけだろう。社会的包摂によって格差を抑え、テロから権力の拡大そして戦争という道を歩んではならない、という著者の叫びはさらにヒートアップする。

著者の良心的で真面目な姿勢は疑いようもない。朝日がごく一部の勢力の中で英雄視される一方で、歴史の表舞台からは忘れられ(高校の教科書にも出ていないし僕も初めて名前を知った)彼の果たしたマイナスの役回りが忘れられることの危機感があるのだろう。

ただ、一読した印象では、著者のきわめて正統的な問題意識(彼は朝日の足跡をたどりその内面に迫ろうとする)と、資料をもとに描かれた朝日の実像にズレがあるようで、何か落ち着かなかった。

朝日は人としてひどく未熟で、人間的な魅力があまりに乏しいのだ。仕事も人間関係も長続きせずに犯罪まがいのことを繰り返す朝日には、むしろ「病的」なものが感じられる。一方、それとアンバランスな見事な文才がある。だから書き残されたものだけを見ると、たしかに著者のような解釈が成り立つように見える。

しかし、問題は、悲憤慷慨調の美文が、自己省察なしにいくらでも観念の自己増殖を続けてしまう点と、自己の実像とは無関係にその文体に引きずられる朝日の特異さではないか。前者は思想の文体の問題であり、後者は朝日個人の問題だ。

このことに触れずに、朝日の問題を、格差社会の若者の「実存的不安」一般へと押し広げてしまうことに居心地の悪さを感じてしまったのだ。