大井川通信

大井川あたりの事ども

『スペースを生きる思想』 粉川哲夫 1987

20代の頃、粉川哲夫(1941-)の批評が好きだった。粉川の批評本がさかんに出版されたのは、1980年代で、それ以降、ほとんど忘れられた存在になってしまったと思う。

日本の批評家を振り返る読書をする中で、久しぶりに粉川の本を手に取ってみる。初めは少し違和感があったけれども、後半になると面白くなり、最近の本を読んでいるような知的刺激を受けることもできた。

確かに、この時点の粉川は、ソ連の崩壊と冷戦の終結を知らない。その後の「失われた30年」ともいわれる日本社会や経済の不調と、中国の台頭も知る由もない。何よりインターネットの普及とスマホSNSの日常化は、粉川にとっても想定外だろう。

身体とテクノロジーとの相克を、都市という空間において読むという粉川の批評は、今から振り返ると、やや素朴であるように見えるし、今でも十分に通用するとはいえ当時において既に完成した(やり尽くしてしまった)批評の枠組みであるようにも思える。90年代には、粉川も50代を迎えるわけだから、新しい時代には新しい世代の論客が迎えられたということだろう。

ただ、40年近く経った今読み返すと、ここにはずいぶん大切な批評の実験があることに気づく。粉川は、自分の身体を具体的な都市にぶつけることで、新しい言葉を生み出そうとする。編集者と二人で、秋葉原やら新宿やら山谷やら、目星をつけた街を歩き回り、くたくたになったあげくに、ここだというスペースでテープレコーダーを回して、都市の印象とそこでの思索について語り始める。この本は、そうしたパフォーマンスのシリーズの報告になっている。

いかに本を作るか。どうやって言葉を発し批評するか。粉川は、哲学的な教養を背景に持ちながら、実際に電子テクノロジーを使ったパフォーマンスをしたり自由ラジオにかかわったりしながら、素朴でまっとうに様々な可能性を試そうとした批評家だった。

僕も当時それに学ぶことが多かったし、今でも十分に読み返す価値はあるだろうと思う。