大井川通信

大井川あたりの事ども

「山はいいよ、山は死なないから」

山川菊栄『わが住む村』から。村で育った昔の娘さんたちにとって、山へ焚き木をひろいにいくことは楽しい仕事の一つで、友達といっしょに山に遊びにいくような気分だったという。

「山はいいね。山に行って燃し木を掻(か)いてくるぐらい楽しみなものはないね。こうしておけば家中の者が一年中困らないしね」(131頁)

これは88歳のおばあさんの言葉。子どもの時からの楽しみで、今でも山に行くのがやめられないという。いっしょに山にいった友達はみんな死んでしまったし、村のお祭りはなくなってしまったけれど、山はなくならないからいい、と。

家族や村人と顔を突き合わせての重労働の日々の中で、友達と山に入るという仕事につかの間の解放感があって楽しみだという感覚は、何となくわかるような気がする。僕でも近所の里山に入ると、身体が何かに目覚めるように自由な気分になるから。

ところが、戦後の開発で、多くの近郊の里山は死んでしまった。削られて住宅街となり、あるいはミカン畑やソーラパネルの設置場所になってしまった。そうでない里山も、手入れがされずに荒れ果てて、足を踏み入れることができなくなった。

本の出版は、昭和18年(1943)。このおばあさんは、山が死ぬことなど思いもよらぬまま、あの世へ旅立ったことだろう。