大井川通信

大井川あたりの事ども

『文庫の読書』 荒川洋治 2023

僕にとって、荒川洋治(1949-)の名前は特別だ。学生時代に、現役の若手の詩人の中で、圧倒的な言葉の力を感じさせられた存在だからだ。いろいろ読みかじってはみたが、処女詩集『娼婦論』(1971)の早熟の天才ぶりには、言葉を失うしかなかった。この原体験は強烈だ。今でも、『娼婦論』の決めの詩句を暗唱することができる。僕にとって、思想分野での浅田彰みたいなものか。

早稲田の講演会で、一度だけ姿を見たことがある。確か評論家の三浦雅士と順番に登壇した会だったと思うが、話の内容は印象に残っていない。その後、荒川のエッセイや詩論を読む機会はあったが、独特で面白いとは思うものの、かつての詩句ほどの輝きは感じられなかった。

本書は、文庫化された小説やエッセイ100篇の解説で、書評を中心に文庫本解説などの文章で構成されている。100冊にするためか数行の解説コーナーもある。

僕は読書会をきっかけに、ここ5年ばかりで小説を読む習慣をつけることができた。この間に読んだ小説の数は、それまでの人生で読んだ冊数を凌駕すると思う。このおかげで、本書のなかで取り上げている小説のうち10冊以上は読んだことがあって、荒川の読みとじっくり比較できるのはうれしかった。

それで気づいたのだが、荒川の書評は、一読したときよりも読み返したときのほうが理解も深まり、優れたものとして受け取れるのだ。読み飛ばしては、その良さがわからない。さすが現代詩人。言葉に密度があって、圧縮された意味を解きほぐす楽しみがあるのだ。

それともう一つ、未見の小説をこれだけ読みたくさせる書き手はまずいないだろう。荒川のほめる小説を、これから少しずつでも読み続けていきたいと思った。この本を信頼のおけるブックガイドとして。