大井川通信

大井川あたりの事ども

『伊東静雄詩集』 林富士馬編 1973

旺文社文庫詩集シリーズの一冊を久しぶりに読み返す。実際手に取ったのは、1997年に出版された小沢書店の小沢クラシックスだが、これは旺文社文庫版の紙面をそのまま印刷したものだ。直接の弟子による思いのこもったやや型破りな解説も貴重だ。

伊東静雄(1906-1953)は、詩が好きだった少年時代、萩原朔太郎丸山薫に続いて、よく読んだ詩人だった。伊東静雄が一番好きで、憧れをもって読み込んでいた時期も間違いなくあった。孤高の詩人のイメージもかっこよかった。

今回久しぶりに再読すると、様々な詩の細かい詩句まで記憶に残っていて、あらためてよく読みこんでいたことに気づかされる。ただ当時、よくわからない奇妙な詩の多いことは気になっていた。

 

大いなる鶴夜のみ空を翔(かけ)り/あるひはわが微睡(まどろ)む家の暗き屋根を/月光のなかに踏みどどろかすなり/わが去らしめしひとはさり・・・/四月のまつ青き麦は/はや後悔の糧(かて)にと収穫(とりい)れられぬ

魔王死に絶えし森の辺(へ)/遥かなる合歓木(がふくわんくわ)を咲かす庭に/群るる童子らはうち囃して/わがひとのかなしき声をまねぶ・・・/(行つて お前のその憂愁の深さのほどに/明るくかし処(こ)を彩れ)と

(「行つて お前のその憂愁の/深さのほどに」)

 

今読み直すと、その奇妙な詩群の味わいも以前よりは受け取れるようになったと思う。引用の詩などは、今ならこの詩人の特徴を備えた優れた詩として理解することができる。ただし、かつて何にとまどったのかはわかるので、説明してみよう。

「わが去らしめしひと」「わがひと」という幻想の恋人の問答無用の設定。多くの詩の中で登場人物の設定と人称代名詞の選択は恣意的で唐突だ。

「行ってお前のその憂愁の深さのほどに明るく彼処を彩れ」という決めのフレーズがわけがわからないけれど、妙な切れ味があってなぜか忘れがたいこと。詩人自身、詩には心に深く刻み込まれる一行があればいいと言っていたそうだ。おそらくこのフレーズがまず頭に浮かんだあとに、連想を膨らませて他の詩句を補ったのだろう。

夜空で屋根を踏みとどろかす鶴。まだ青い麦畑の刈り取り。魔王が死にねむの木がさく庭に群る童子たち。こうした魅力的なイメージは、決めフレーズを詩を導入するために任意に召喚されたものにすぎない。それでもこの詩の場合は、イメージのつながりがたどりやすく美しい。

戦前の近代詩の中に置くと、奇妙にリアリティを帯びた詩句を打ち出す主観のありようが際立って見える。一方、戦後の現代詩の中に入れると、詩法が旧式でぎこちなく説明不足もしくは説明過剰が目立ってしまう。僕にとっては、近代詩と戦後詩の読書を架橋してくれた詩人だったと今は思う。