大井川通信

大井川あたりの事ども

カンタロウ再考

この間の二度の邂逅のあと、またカンタロウの姿を見なくなった。相変わらず、東公園ではカラスの数自体だいぶ減っているような気がする。

実は、あの二度の邂逅の解釈について、自分でも少し気になっている部分があった。一つは、カラスが木の枝をおって落とすことに対する解釈だ。

つい先日、テレビのローカルニュースで、子育て中のカラスが人を襲うトピックを流していた。4月から6月くらいの時期だそうだ。

ネットの解説などをみると、子育ての時期で気の立ったカラスの威嚇のふるまいの一つとして、木の枝を折って落とすことが書かれている。実は、冬の時期に会ったときに初めて木の枝を「もらった」のだが、それも威嚇だったのか。

それとも関連するが、そもそも遊歩道を歩く僕の近くの枝に止まったというのも、巣の下を歩く人間を警戒するためだったのかもしれない。近くの林に入った僕を、夫婦二羽で見下ろしていたというのも、巣を守るための行動だったのだろうか。

実は、数年前、同じ場所にカラスが巣を作って、道行く人を威嚇していたのを見たことがある。そのときは僕も後ろから襲われて、後頭部を軽くたたかれた。

温厚なカンタロウも、子育てとなったら牙をむくかもしれない。しかしこの仮説が成り立つためには、そもそもこの林にカンタロウたちが巣を作っていないといけない。巣があるならば親ガラスはそこを離れないし、通行人の多い場所だから、カアカアと騒いで気が休まることはないだろう。

ところが、その付近にその後カラスの気配がない。巣がないのに、警戒や威嚇をする必要はないのだ。頭のいいカラスは、枝を折って落とすというふるまいにも、多様な意味をこめることができるのだろう。あれは、断じて威嚇ではなく、プレゼントだ。

つげ義春の『李さん一家』のラストの絵を思い出させるような、ボーっと並んでこちらを見下ろすカンタロウ夫妻に、敵意や悪意を見出すことなどどだい無理な話だったのだ。