大井川通信

大井川あたりの事ども

『平成史』 與那覇潤 2021

読書会の課題図書として読んだが、実に読みにくい本だった。なじみのある同時代の出来事や論壇が扱われているから、それらを手がかりにして思わぬ視点や見晴らしを与えてくれるだろうと期待していた。しかし読めば読むほどわからなくなる。

それは、一つには著者の姿勢が、通史を書くといいながら、ひどく内向きであるためだ。いかにも同世代の思想家や批評家が扱いそうなものを題材として、仲間内相手に解釈を競っている感じなのだ。

さらには解釈の道具として、大人(父)と子ども、歴史とその忘却という、すでに使い古されていて、意味ありげではあるが明確な像を結ばない概念装置が、切り札のように随所で振りまわされている。

平成の歴史といいながら、生活者にとって重要な、子どもや老いの問題、自然や仕事の問題等の下部構造が無視され、政治や経済や社会のトピックと一部の論壇の動向がつまみぐいされているだけだ。

平成の中盤の画期となる時期を扱う第10章を、著者はこんなふうに書きだす。

「平成19~20年(2007~2008年)ほど、いま私にとって懐かしく、また多くの人には『理解しがたい』時代も珍しいに違いありません」

たしかに民主党への政権交代前夜の空気は、今となってみれば隔世の感はある。しかし、いったい何が懐かしく、誰にとって何が理解しがたく、何が珍しいのか、具体的な説明も論証もない。思い入れと思い込みがずぶずぶの文章は、とてもプロが書くものとは思えない。