大井川通信

大井川あたりの事ども

行橋詣で(12月)

ようやく風邪も抜けかかる中、小倉で時間調整して、午後一番に行橋へ。周辺のお寺や神社などに寄り道してから教会に着く。クリスマスに合わせたわけではないが、赤ワインならぬ赤霧島を持参する。

井手先生は、午後二時から出かけるとのことで、一時間みっちりお話することができた。12月1日の自分なりの気づきのこと伝えたかったので、青臭い議論になってしまうのも顧みず、清澤理論と金光教の教義との不整合、橋爪の言語ゲーム論による仏教理解、それに基づく金光教のモデル化等々、自分の考えの筋道にそってたんたんと話をすすめる。この半年間、行橋で教えを受けながら考えたことのとりあえずの集大成である。

金光教の取次が、有限(氏子)と無限(神、道)とのズレを仏教のように一気に全面的に回復させる(悟り)ではなく、そのズレが氏子の難儀として現れる都度、丁寧に手当てするものだ、という僕なりの理解については、先生になんとかうなずいていただけたように思う。

その他、101歳の齋藤秀三郎画伯に金光教の話をしたことや、金光大神と同時代の高橋富枝師(明神様)の自伝の話などをして時間切れとなった。

この半年間のお礼をいい、来年についてのお願いをする。不詳の弟子ですが、と先生にことわると、いや、いっしょに道を求めましょうと言っていただく。

今日は体調も良く、同僚からすすめられた行橋駅前の三徳ラーメンを食べる。家族への申し訳に、地元の駅前のコンビニで買った小さなクリスマスケーキをさげて帰った。