大井川通信

大井川あたりの事ども

演劇人の従兄と話をする

ちょうど小劇場の歴史に関連する本を三冊読んだところで、演劇人の従兄と話をすることができた。にわか勉強のおかげで、相手の話を引き出すくらいのことはできたと思う。

視野が狭く引っ込み思案の僕が、かろうじて芝居を観たり、演劇ワークショップに参加したりしたのも従兄の存在のおかげだ。勉強家で優秀な従兄は、若い頃から演劇評論を書いて本を出版するなど、僕の好きな思想や評論のフィールドでもはるか先を歩いている。

従兄は、1970年代には俳優座で芝居を演じたりしていて観に行ったこともあるが、1981年に正式に黒テントに加入している。83年に観た『灰とダイヤモンド』では役者をしていたが、85年に北九州の崇玄寺駐車場でテントを張った『ヴォイツェック』ではすでに裏方だったと思う。この時は僕のアパートに泊まってもらった。

黒テント佐藤信や佐伯隆幸らに学んで、その後劇場運営の専門家になり、世田谷パブリックシアターを経て、最近までとある公共劇場の館長をやっていた。そんな試行錯誤の軌跡を、若手からは「上昇志向」ととらえられて唖然としたと話す。そもそもそんなことが目的なら黒テントには入らないだろう。若い世代の価値観が平板になっていることを僕も痛感する。

酒の席なので、演劇界の大物たちの話を楽しく聞く。状況劇場唐十郎の目がガラス玉みたいにキラキラしてきれいだったこと。のちに水族館劇場の桃山邑の目が同じようにきれいなのに気づき、本人に指摘すると、山谷でやくざと喧嘩したときに親分からそれと同じ事をいわれて助けられたとのこと。同じテント芝居のどくんごの代表のどいのさんは、黒テントの研修生時代の同期で親しかったが、桃山さんと同様、最近亡くなったそうだ。二人のつくる芝居は僕にも刺さるものだった。冥福を祈りたい。

そのほか、鈴木忠志や太田省吾、菅孝行や西堂行人らとの話など。演劇評論家扇田昭彦の本が面白かったので話題に出すと、従兄も面識があり評論に対する評価は高かった。世評の高い岡田利規の芝居がまったくわからないという話をすると、彼のテクストはすごいとのこと。こんどちゃんと読んでみよう。

今は、佐藤信論を執筆しているそうだ。小劇場出身なのに、最近閉所恐怖症になってしまって劇場で観る芝居を選ぶようになってしまった、というのが気の毒だが少し面白かった。僕がスズナリに行ったというと、もうあそこでは観たくないと。

たまらん坂下で、また会おうと言って別れる。