大井川通信

大井川あたりの事ども

じろじろみる/じっとみる

昔みた演劇のパンフレットをみていたら、演出家の倉迫康史さんが、こんなことを書いていた。倉迫さんのつくる小劇場の舞台が大好きで、『夜と耳』は僕のみた最高の舞台だったと断言できる。

「演劇とはそもそも官能的な体験なのだと僕は思います。だって生身の人間をじっと見詰め、その声に聞き入る行為なのですから・・・どうぞ観劇という官能的な体験にトリップして、心ゆくまでご堪能ください」

観劇という経験が特別なのは、生身の人間を直にじっと見続けるという、通常ありえない振舞いだからだろう。生身であるが故の主体性によって、こちらが見返されるという緊張感をはらんでいる。

小劇場の舞台で「気まずさ」や「いたたまれなさ」を感じるのも、この直の関係を意識してしまう時だ。つまらない芝居の場合には、うまくこの関係を「官能」へと変換(トリップ)できないから、そうなるケースが多い。

ところで、夏目漱石の文章を読んでいたら、ロンドン留学時代の体験についてこんなことが書いてあった。ロンドンで漱石が歩いていても、物珍しそうにじろじろみたり、からかったりするものはいない。当時の日本では、東京でも他人のことをじろじろ見るのが当たり前だったようだ。この点では、現在の日本(特に都会)では、「儀礼的無関心」が徹底されているだろう。

ただ、じろじろ見るのと、じっと見るのとは違う。じろじろ見るのが得意なかつての日本人も、対面で人と話すときに、相手と目線をあわせるのは苦手だったような気がする。じっと見ることもまた、文化的な訓練のたまものなのだろう。