大井川通信

大井川あたりの事ども

詩を選ぶということ

4年前に詩を意図的に読み続けようと決意して、ちょうど3年前から詩歌を読む月例の読書会に参加するようになった。近ごろになってようやく、詩集を手に取ったり、詩を読んだりすることに抵抗がなくなってきた気がする。

他人の作った詩がわからないのは当たり前。その中で自分にもぴったりくる稀な詩を見つけるのが詩を読むということだ。こう開き直ってしまうと、詩を読むハードルも低くなり労力もぐっと節約できる。

あらかじめ選者のいるアンソロジーは、この宝物探しには効率がいいはずだ。そういうわけで、僕は今、詩人の山本太郎の編纂した『ポケット日本の詩』(平凡社  1983)をひっくり返して、この中からベストテンを選ぼうと画策している。やや古い本だが、目算でざっと250人の詩人の500篇の詩が収録されているから、読み応えがある。

ためしに大手拓次で何を選んでいるかを見ると、「藍色の蟇」「象よ歩め」「森のうへの坊さん」「魚の祭礼」の4篇である。これは多い方だから編者の詩人への評価が高いということだろう。前の二つが初期の比較的有名な詩だが、僕が丸をつけて面白いと評価したのが後ろの二つだ。読書会なら付せんをつけて、僕が選ぶベストスリーの候補にあげていただろう。

ところが、232篇を収録して充実した編集の岩波文庫大手拓次詩集』には、この二つの詩は選ばれていない。とても凡庸な詩も多く選ばれているにも関わらず、才能のある詩人が日本の詩全体のアンソロジーに載せるほどの詩が選からもれているのだ。

こうした事実も、そもそも良い詩とは何か、詩がわかるとはどういうことか、という問いに答えるための判断材料になると思う。