大井川通信

大井川あたりの事ども

金字塔 その他の塔

何かの業績をほめたたえるときに、「金字塔」という喩えを使う。少し大仰な響きもあるが、ごく一般的な用法だろう。ところが、ふとこの金字塔そのものが気になった。これはいったいどんな塔なのだろう。

無意識のうちにたぶんこんな正解を予想したと思う。昔中国の名家でかくかくの際に作って、一族の象徴として末永く大切にした塔。なるほどそんな習俗があったのか。その習俗が廃れて忘れられても、比喩の中にこの言葉は生きのこったのだな。なるほど。なるほど。

ところが、この金字塔とは誰もが知る、あまりにもメジャーなピラミッドを指す言葉だと知って意表を突かれた。塔の方は、まさに金字塔として輝かしく存在しているが、それを指す言葉の方が廃れてしまったのだ。形が金の字に似ているという命名の由来は、安直すぎてちょっと危なっかしい。

塔にはいろいろなものがある。

今月初めに銃撃された安倍元総理大臣は、狙撃犯人から「統一教会」との関係を疑われて、逆恨みをかった。その関係がどれほどのものだったかはわからないが、少なくとも教団の「広告塔」の役割を果たしたことがあったのは事実だろう。広告の看板はともかく「広告塔」らしきもの意識する機会はほとんどないが、それでもこの言葉は根強く残っている。

先日朔太郎ゆかりの前橋の街を歩いたとき、街中の神社の参道脇に、小さな庚申塔を見つけた。50センチばかりの高さの細長く欠けた石に「庚申」の文字を掘っただけの粗末な塔で、裏には昭和20年8月の日付が刻まれている。

庚申塔は大井川歩きでもおなじみの塔だが、以前から「塔」と呼ぶことには違和感があった。せいぜいお地蔵様と同じくらいの大きさの石碑で、見下ろすことしかないし、塔のミニチュアのような形状をしているわけでもないからだ。

実際に見かける庚申塔は、江戸の中期から後期にかけて作られたものがほとんどで、明治以降の年号をみることはほとんどない。定期的にめぐってくる庚申の晩に近所で集まる庚申信仰は戦後のある時期まで残っても、節目の年に石塔を作るような習慣ははやくに廃れてしまったからだろう。

だから前橋の庚申塔は格段に新しい。敗戦の衝撃を受けた人々が何かをよりどころにして立ち上がろうとしたときに、富国強兵をひた走った近代という時代よりも古い庚申信仰が呼び出されたのかもしれない。人間の心の不思議さを思う。