十代の終わりの頃に買った詩集。親切な解説や注釈付きで近代詩人を読めるから、重宝していた旺文社文庫の一冊。還暦を過ぎた自分が、同じ詩集を手に取るなど想像もしていなかっただろう。
今日は、八木重吉の命日。この40年の間に何度か読み直しているはずだが、久しぶりに、全体に目を通してみる。十代の自分が好きだった詩が、同じような鮮烈さで目前にせまってくる。当時は文庫本解説を熱心に読んだから、解説の一文一文までが記憶に残っている。剛腕郷原宏の批評がまたいい。
今回、新鮮だったのは、代表作といえる「素朴の琴」があらためてとてもいいと思えたことだ。
この明るさのなかへ/ひとつの素朴な琴をおけば/秋の美しさに耐えかね(て)/琴はしずかに鳴りいだすだろう
有名な作品というのは、見る側が色眼鏡をかけてしまうから、素直に受け止めることができなくなる。文庫本紙面には自分の好きな作品につけるチェックももらしていた。
今回、この詩の特別な良さを味わえたのは、今が秋の景色の中を縦横に歩きながら、高村光太郎の「秋の祈」を繰り返し暗唱している最中だったからかもしれない。だから、この明るさというときの「この」に込められた思いが、ストレートに伝わってくる。
郷原宏がいうように、これは仮定の歌なのだ。光太郎が、「祈る言葉」を見つけられなかったように、八木重吉にとっても「素朴な琴」は手に届かないものだった。だから、この詩も、秋の美しさに対する祈りの歌なのだろう。