大井川通信

大井川あたりの事ども

『若菜集』 島崎藤村 1897

読書会の課題詩集として読む。そうでなければ、絶対に手に取ることのない詩集だったと思う。文語で七五調の韻文というもののハードルはやはり高い。

しかし、3作好きな詩を選ぶという事前課題によって、時間をかけて読み進めていくと、若き島崎藤村(1872-1943)が、実験的にいろいろな主題や形式にチャレンジしているのがわかって、面白く読み取ることができるようになった。文庫本のやや古い解説では、「永遠の青春性」とかを持ち上げているが、そういうありきたりな観念は意外と古びやすい。むしろ、試行錯誤や技巧のあとが、新鮮で面白い。

たとえば、「六人の処女」という連作があって、それぞれ違った境遇の乙女による自分語りの詩が並んでいる。その中でも「おつた」が面白かった。

彼女は孤児で、若い聖(ひじり)に育てられる。相手は聖だから、禁欲の言葉を彼女に伝える。しかしなぜか彼女はそのつど「かくいいたまふうれしさに」と平気で禁を破った上で、大胆にも聖にそれをすすめる。すると聖も聖で、それを受け入れた上で、こんなにいいものなら「などかは早くわれに告げこぬ」とのたまうのだ。

柿、酒、歌、恋、と二人で次々と禁を破った上での最終連、どうオチをつけるのかと思いきや、彼女は道端で「雪より白き小石」をひろう。若い聖は、最後にはまともに、これは「知恵の石」だとのたまう。それで彼女はこの石を「人に隠して今も放たじ」、と密かに大切にしていると言ってこの詩が終わるのだ。

※注釈本によれば「人に隠して今も放たじ」と言うのは若い聖と解釈すべきようだ。

めちゃくちゃで破天荒な展開だけれども、最後によくわからないながら妙に納得させられる。人間は、様々な放縦の果てに、かろうじて真実を手にするという比喩だろうか。

鶏のカップルの前に、見知らぬ雄鶏が現れ、決闘で夫を殺し、妻を奪うなんて詩もあった。丸山薫の詩みたいなクールな寓話もあったりする。