大井川通信

大井川あたりの事ども

『近代秀歌』 永田和宏 2013

以前、同じ著者の『現代秀歌』を別の読書会で取り上げて報告したことがあるが、同じ岩波新書のこの本が、今度は詩歌を読む読書会の課題図書となった。

日本人ならせめてこれくらいの歌を知っておいてほしいぎりぎりの百首を選んだと著者が豪語しているとおり、耳になじみのある歌も多く、良いと素直に思える歌が大半で、納得の選という感じだった。

『現代短歌』の方はどう読んでいいか迷うような歌も交っていたので、これが読み継がれて評価が定まったということなのだろう。著者の解説の分量も多く、実作者ならではの懇切丁寧な説明があって勉強になった。

読書会ではいつものように参加者が選んだ三首を順番に全員で検討していくのだが、今回は三首に絞るのが難しかった。僕の選んだ歌と、その選出のポイント(当日報告用のネタ)をメモしてみよう。

垂乳根(たらちね)の母が釣りたる青蚊帳をすがしいねつたるみたれども 長塚節

解説にある「写生」の考え方が興味をひいた。著者はそれを、対象のある一点だけ残してあとは捨て去る作業だという。この歌だと、蚊帳のたるみがその一点だ。長塚が最晩年、僕の勤務先近くの病院にいたというエピソードも話す。

「のど赤き玄鳥(つばくらめ)二つ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり 斎藤茂吉

一方この歌は、意図的でなく一点が残されていて長塚の歌との対照が面白い。人間は途方もない衝撃を受けるとその文脈とまったく関係のない細部(燕の赤い喉)に注目してしまうという著者解説も納得。僕はビアスの小説「アウルクリーク橋の一事件」を例にとって、この考え方に基づく描写の迫真性が、読者を欺くのに利用されていると話した。

「向日葵(ひまわり)は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ 前田夕暮」※アンダーラインは傍点

僕にとって初見の歌を一首選んだ。伸びきった向日葵の花弁が重く不安定な様が目に見えるようだ。解説でゴッホの向日葵との関連を指摘しているのは不可解(参加者も同意見)。向日葵といえば油がとれるし、ゆらゆらした不安定感はゴッホにはない。

 

ooigawa1212.hatenablog.com