秋は喨喨(りょうりょう)と空に鳴り/空は水色、鳥が飛び/魂いななき/清浄の水こころに流れ/こころ眼をあけ/童子となる
多端紛雑の過去は眼の前に横はり/血脈をわれに送る/秋の日を浴びてわれは静かにありとある此(これ)を見る/地中の営みをみづから祝福し/わが一生の道程を胸せまつて思ひながめ/奮然としていのる/いのる言葉を知らず/涙いでて/光にうたれ/木の葉の散りしくを見/獣(けだもの)の嬉々として奔(はし)るを見/飛ぶ雲と風に吹かれる庭前の草とを見/かくの如き因果歴歴の律を見て/こころは強い恩愛を感じ/又止みがたい責(せめ)を思い/堪へがたく/よろこびとさびしさとおそろしさとに跪(ひざまづ)く/いのる言葉を知らず/ただわれは空を仰いでいのる/空は水色/秋は喨喨と空に鳴る
(高村光太郎「秋の祈」1914)
毎年、この時期のすがすがしく爽やかな青空を目の当たりにすると、自然と高村光太郎の名作「秋の祈」の詩句が浮かんでくる。このブログでこの詩を引用しただけの記事が検索されるようになるのもこの季節だ。
しかし僕のブログごときが検索上位に来るのは、この詩がかつての盛名を失いかけているようで、微妙な気持ちにもなる。
もう何十年も前に暗記した詩句は、この年齢になると、ところどころ怪しくなってくる。詩句の意味をよく味わって、自分の生活経験に結び付けながら、頭と身体に刻み付けるようにしないと、これからはいっそう思い出すのが難しくなるだろう。
たくさんのことを忘れていくのは仕方がないが、できれば最期までこの詩句を手放したくはない。
まず、秋空。バードウォッチャーである僕の好きな鳥が飛ぶ。昨年から急に気になりだした馬のいななき。大井川流域の水の流れ。そして子どもの目に帰る。
過去の血脈と地中の営みへの祝福。一生の道程を振り返って「祈る言葉を知らず」。
涙のために光がにじむ。落葉舞うなか獣が走る。はるか遠い雲から目の前の草へ。因果歴々の律に対する恩愛と責めの感情。たえがたい喜び・淋しさ・恐ろしさ。
「祈る言葉を知らず」「ただ我は空を仰いで祈る」。最後に秋空。