大井川通信

大井川あたりの事ども

岡庭と吉本

岡庭昇を読み直すときに、吉本隆明の軌跡を参照軸にすることもできるだろう。それぞれの読者からは異論があるだろうが、両者には意外に多くの共通点がある。

一知半解を承知で、その共通点を挙げていく。狙いは、「戦後思想の巨人」に照らして、岡庭昇の仕事の大きさを示すこと。

歯車

急に視界の中心が盲点のように見にくくなり、視野の左側上部でさざなみが立つようにチラチラしだすが、今回はそれが広がらないうちに収まった。

閃輝暗点だろう。芥川龍之介が自殺の年に『歯車』で描いた症状だ。

ただし僕の場合、どちらの目にも同じ形で、歯車は回っている。

アトリ

ゴマみたいな群れが枯れ田から飛び立って、うねるように左右に舞ってから、ウサ塚の木々に戻った。

橙色の胸、白い腹、黒と灰色の頭と背。

スズメかと思って双眼鏡をのぞくと、大陸からの訪問団アトリだ。

 

曜変

国宝曜変天目の再現にいどむ陶芸家の姿が忘れがたい。

テレビドキュメンタリーで、彼は、苦しくて仕方がない、とつぶやく。

それは、彼にとって作陶が目的でなく手段になってしまっているからだろう。完全な曜変の輝きを捕まえるための。

 

初庚申

勤め帰り1時間ばかり並んで、猿田彦神社にお参りした。

博多の古い町並みで戸口によく見かける、小さな猿面を授かる。

さる、だから災難が去る。

博多っ子の妻には、懐かしくも頼もしい門番となるはずだ。