大井川通信

大井川あたりの事ども

宗教論

岡庭と吉本⑤

吉本隆明は、キリスト教や仏教を広く論じて宗教論集成を出版しているが、90年代には、オウム真理教麻原彰晃を擁護する発言で物議をかもした。

岡庭昇は、メディア批判や社会批判の一方、創価学会を擁護する立場を明らかにし、池田大作を論じた本を執筆している。

 

ポストモダン

岡庭と吉本④

吉本隆明は、オイルショック以後の社会の変化を受けて、批評のスタンスを変更した。『マスイメージ論』で大衆文化を論じ、先進国が「超資本主義」へ入った時代を独自の視点でとらえるようになる。

同じころ、岡庭昇も狭義の文芸評論の枠組みから出て、文化批判、メディア批判へと重心を移していく。さらに『飽食の予言』では、食の問題等の現実批判へと舵を切った。

ヤドリギ

散歩の途中、遺跡公園の落葉樹の高い枝に、そこだけ丸く葉が残ったところがあるのに気づいた。直径50センチばかりの球状に黄色い葉が茂っている。

鳥の巣だろうか。後で知人が、ヤドリギだと教えてくれた。古代から神聖視され、人類学の古典『金枝篇』の金枝とは、このヤドリギのことだという。

確かに少しは目を引くが、奇妙な人工物があふれた風景の中で、それを特別なモノとみるような感性はすでに失われている気がした。

世界文学

岡庭と吉本③

吉本は、古典や詩歌から、近現代また国内外の文学を、普遍的な相で論じることができた。

岡庭昇もまた、漱石から戦後の諸作家、近現代の諸詩人だけでなく、例えばフォークナー論を一冊にまとめるなど外国文学についても、一貫した視座から論じている。

言語思想

岡庭と吉本②

吉本隆明の思想の根底には、『言語美』等で展開される、言葉や観念に対する原理的な把握があることは、よく知られている。 

一方、岡庭昇にも、「規範言語論」とも呼ぶべき、言葉と観念をめぐる本質的な理解があって、それが、詩論、文学論、メディア論等を貫いている。

シロハラ

職場の窓の外の林で、暗灰色のシロハラがしきりに落ち葉をひっくり返して、餌を探している。正面を向くと、暗がりの中で、腹の白さが妙に目立つ瞬間がある。

なるほどシロハラだな、と和名の由来に感心した。

 

 

詩と詩論

岡庭と吉本①

吉本隆明は詩人であり、詩についても多く論じている。前の世代の戦争詩を批判したり、70年代には、同時代の詩を「修辞的現在」として総括したりもした。

岡庭昇も、詩人として出発し、2冊の詩集と2冊の詩論を編んでいる。「芸の論理」による60年代詩の批判は、吉本に先んじていた。

青い鳥三羽

シモノハラ池のふちで、ルリビタキを見つける。頭も羽もちょっとくすんだような青だが、脇のオレンジ色と、白い眉がかわいい。

小川の水面ギリギリをカワセミが真っ直ぐに飛ぶ。背中の縦の青いラインを日に輝かせて。

遠くの民家の屋根で、イソヒヨドリが庭をうかがっている。双眼鏡で、黒みがかった青い身体と、胸の濃い橙色が確認できた。

 

 

数珠と呪術

長男が友達にしたという笑い話。

夜、リビングに入ると、母親が大好きな心霊番組を見ていたのだが、その姿というのが、画面に向かい、数珠を握って拝んでいたというのだ。

そして、こちらは少し怖い話。

長男が彼女を家に泊めてしばらくの間、邪気を払うために、母親が玄関に線香を焚いていたという。

初詣

 

戦中派の父にとって、天皇制と神道は不倶戴天の敵だったのだろう。我が家では、初詣に行く習慣すらなかった。 

そのせいか僕は今でも、本心から何かに祈ることができない。

博多の街で神仏に囲まれて育った妻と暮らして、そう思う。