大井川通信

大井川あたりの事ども

理髪店とあめ玉

僕が数年前から行っている理髪店は、理髪用の椅子が十台以上並んでいるけれど、先客がいることはめったにない。おそらく全盛時代は、何人も雇って羽振りがよかったのだろうが、今は年取った夫婦だけでやっている。70歳を超したかというご主人は、決まって「今、ちょうどすいたところで、良かったです」という言葉で迎えてくれる。(見え透いたウソだなんて、思ってはいけない)

僕は、ずいぶん前から、行きつけの理髪店で髪をきってもらったり、顔をそってもらっている間に、うとうとと寝入ってしまうようになった。振り返ると、ふだんの暮らしの中で、この時間が一番心地よい時間のような気がする。

今日もそんな風に気持ち良い眠りから起こされて、いざ椅子から立ち上がる間際に、「さあどうぞ、さあどうぞ、もっていってください」と、あめ玉を五つばかり握らせてくれるのも、まったくいつも通りのことだ。(今時あめ玉なんかで大袈裟な、なんて考えてはいけない)

初めの挨拶から、あめ玉のお土産まで、ご主人は儀式のような正確さで繰り返す。僕も、初めと最後のあいさつをいつもどおりするだけだ。永遠に繰り返すかのような、日常の好ましい風景。(しかし、それもやがて終わる)

 

『塔の思想』 マグダ・レヴェツ・アレクサンダー 1953

国立駅前の古書店で見つけて、古い本だが面白そうなので買ってみたが、当たりだった本。池井望の訳で、河出書房新社から1972年に出版されている。

余談だが、若いころは古本屋が大好きだったのだが、いつ頃からか、人の手垢のついた古い本というのがダメになって、どうしても欲しいものかよほどきれいな本でないと、手を出さなくなった。子どもの頃、昆虫がまったく平気だったのに、ある時から生理的に難しくなるのといっしょだろうか。あと、古書店の本には、なぜか必ずかび臭い匂いがついている。家の本には古くてもあの匂いはない。今回、ビニール袋の中に無臭の消臭剤と一緒に入れて匂いを消す、という方法を学んだので、快適に読むことができた。閑話休題

僕は塔が好きだ。有名無名を問わず、塔を訪ねて見て回りたいという気持ちがある。電波塔にも、広告塔にも、送電塔にも、給水塔にも、火の見やぐらにも、もちろん五重塔にも、目を奪われてしまう。ただ、塔にあこがれるのは、多くの人に共通の気持ちのような気がする。

著者は、塔というものの、精神的な価値を端的にとりだす。地上の実用的な意味を逃れて、天へと垂直に上昇しようという衝動である。それは独立や自由や孤独という生活感情を代理し、それを見上げる者に驚きを与え、またその土地に無二の個性を与える。

以上はおおざっぱで自己流の要約だが、とにかく著者の記述は、刻み付けるように論理的で説得力がある。本場ヨーロッパの思想と建築の堅牢な構築の、結晶みたいな本だ。日本の建築の本だと、こうはいかないだろう。素人なりに、禅宗様建築の精神性について、いつか納得のいくように考えてみたいという気持ちがあるが、そのはるかに遠いお手本になるような本だった。

ところで著者は、塔の本質を上昇への衝動と規定したうえで、実際の塔には、それを純粋に動的に表したタイプと、静的で永続的な立体として表現したタイプの二種類があるという。日本の五重塔等の名建築は、おそらく後者の典型といえるかもしれない。それは上昇する運動を、水平へ広がる各層の重なりのうちに、瞬間的に凍結させている。まさに「凍れる音楽」(フェノロサ)のように。

 

 

人類の未来

ウェルズの『タイムマシン』を読む読書会で、「将来、人類の社会はどのようになっているか」という課題がでた。そんなことは全く考えたことがないけれども、話のタネになればいいので、ざっと考えて、次のように回答した。

・2050年頃 世代間の対立。とくに老人と、その他の世代の対立が深まっている。
・2150年頃 貧富の差(階級対立)を緩和する技術や仕組みにメドが立つ。
・2250年頃 民族、国家等グループ間の対立を調停する思想や仕組みが登場する。
・2350年頃 自然と人類とが根本的に共存できる技術やルールが実現する。
・2500年頃 有限な個人と人類との対立を調停する思想や技術が成熟する。

2050年は、僕自身が経験できる可能性のあるギリギリの年代だろう。自分がもうじき仲間入りする老人世代と、新しい世代との対立が深まりそうな直観だけはある。対立の激化は、その解決策も用意する。その先は、諸課題の解決を順番に並べてみた。

物質的な貧富の差の解決に100年。グループのアイデンティティの対立の問題の解決にさらに100年。前者はサヨクが、後者はウヨクがこだわってきた。エコロジーが問題とする自然との共存にもう100年。最後残るのが、一番やっかいな個人のアイデンティティの問題。力をもった個人が、有限な自己の道連れにしようとする危険に世界はさらされ続けるだろう。この問題の解決に150年。

もし人類が、この段階までたどりつけるなら、滅亡の危機を逃れて存続の道を歩むことができるだろう。おそらく。

 

燐寸(マッチ)の大冒険

読書会の課題図書で、ウェルズ(1866-1946)のSFの古典『タイムマシン』(1895)を読む。

タイムマシンを発明した主人公は、80万年後の世界へ行くが、そこは、地上に遊ぶ穏やかなイーロイ人と、地底で生産活動に従事する恐ろしいモーロック人という二種族が住む、文明の衰退した世界だった。モーロック人は、地底で生活しているため、光に弱い。夜になると地上に這い出してきて、イーロイ人を襲う。彼らにタイムマシンを奪われた主人公は、イーロイ人の娘の協力を得て、モーロック人と戦う。

その時、未来世界で唯一の武器として大活躍するのが、マッチなのだ。モーロック人はマッチの火に退散する。「こうなったら、マッチだ」という主人公のセリフは、必殺の武器がマッチなだけに、おかしみをさそう。手持ちのマッチが切れると、旧博物館の展示室で、都合よく新たなマッチ箱を手に入れるという展開もすごい。

なぜこんなにも、マッチが重宝なのか。よく読むと、この未来社会には全く照明がないのだ。なんと太陽と月の明かりだけで生活している。いくら文明が衰退したからといって、照明装置がないなんてありうるのか? ここで、照明の歴史について、ふりかえってみよう。

1827年 マッチの発明(19世紀後半、自然発火と毒性の危険のある「黄燐マッチ」に替わり、頭薬と側薬をこする「安全マッチ」が実用化される)
・1879年 白熱電球エジソンによる実用化
・1896年 乾電池の発明(1899年懐中電灯の発明)

この小説が出版された1895年には、ロウソクやランプ以外の照明装置は、まだまだ最新のハイテクだったことがわかる。懐中電灯もまだ存在していない。ひょっとすると、安全マッチは、今でいうと携帯やスマホ並みの最新の工業製品のイメージをまとっていたのかもしれない。ちなみに当時、スウェーデンアメリカ、日本がマッチの世界三大生産国で、日本が競争力をもつ数少ない工業製品だったそうだ。

文明の衰退した未来社会で照明が失われているのも、そこでマッチが大活躍するのも、作品の生まれた時代のリアリティに深く根差したものだったのだ。

 

『弟子』 中島敦 1943

母親の法要で実家に帰省した時、亡くなった父親の書棚から借りて読んだ本。中島敦(1909-1942)の自筆原稿をそのままの大きさで復刻したもので、古い原稿用紙をそのまま読むような不思議な感覚を味わえた。父親は以前、代表作『李陵』の自筆原稿版も所有していたと記憶する。小説の蔵書はあまり多くなかった父親だが、どうしてそれほど中島敦が好きだったのだろう。本人に聞く機会はなかった。

父が亡くなった時、引き出しの底に原稿用紙が一枚あって、達者な書体で散文詩のようなものが書きつけてある。書き物も好きだった父だったが、他はすべて処分してあって、偶然か故意かこれだけが残されていた。内容的に、父の創作とも思えない。ふと思い立って蔵書の『中島敦全集』をめくると、(何かに導かれたとしか思えない偶然なのだが)『光と風と夢』の一節を書き写したものであることに気づいた。引用部分は、主人公が南洋の道を歩きながら、「私とは何か」という問いに激しくとらえられる場面である。

『弟子』でも、小説の叙述をはみ出すようにして、「なぜ善ではなく悪がはびこるのか」という主人公子路の問いを正面から問いかける場面がある。わずかに読んだ範囲内でも、中島敦には、小手先の論理や時代の気分からではなく、この世界の原理について、根本を問う姿勢があったような気がする。父親は、その部分にひかれていたのかもしれない。そう考えると、父の関心のありかが、意外と今の自分と近いようにも思えるのだ。

 

 

 

千灯明と「がめの葉饅頭」

ハツヨさんの故郷、平等寺地蔵堂で千灯明があると聞いたので、かけつける。まだ明るかったので、ハツヨさんの生家の脇の路地を上り、高台のため池ごしに、ミロク山の姿に手をあわせる。僕は、この村を舞台にしてハツヨさんの生い立ちを絵本にするつもりだ。そのためには、この土地に心とからだを開き、十分になじませないといけない。振り返ると、低い大地ごしにコノミ山が大きく見える。そこは大井川歩きのフィールドなので、地続きだと感じて、ちょっと安心する。

地蔵堂は村の奥にあり、そこへの小道と小川の川岸に手作りの灯明が並んでいる。灯明の列は石段を上って、地蔵堂に導いてくれる。促されるままに靴をぬいで明るい堂内にお参りする。そこには、何人か世話役のお年寄りがいて、ハツヨさんの名前を出すと、(大正3年生まれのハツヨさんからは一回り以上若い人たちだろうが)みなさんご存知だった。ハツヨさんの盆歌の録音を流すと、昭和4年生まれの人と昭和11年生まれの人が、すぐに声を重ねて歌い始める。青年たちが初盆の家に回って歌った平等寺の盆歌で、ずいぶん前に歌われなくなったものらしい。

ハツヨさんの姪にあたる人が、おばさんの声が聞けてうれしいと言う。参詣の人に配るお菓子といっしょに、姪の人が作った昔ながらの「がめの葉饅頭」(かしわ餅)をことづかった。帰りには、夕闇が濃くなって、足もとの灯明の列がいっそう美しい。

少し遅かったが、せっかくなので、帰り道に車で多礼のホームに寄る。ハツヨさんはまだ茶の間で起きていて、夜勤の好さんといっしょに土産話を聞いてもらいながら、三人で甘い饅頭を食べる。

 

 

 

ムジナが落とした物語がひょっこり別所に届けられる(貉の生態研究⑥)

【物語の誤配/交配】

大井村の力丸家の由来を描いた絵本「大井始まった山伏」は、その唯一の伝承者睦子さんの病床に届けることができた。枕元で絵本を読み上げると、苦しい息の下で、物語の展開の創作に喜んでいただける。

平知様の物語は、紙芝居となって、近年開発された里山上の公民館で、新住民の敬老会で披露された。ややあって、知盛の墓という虚構の伝承が、地域の広報誌で真実らしく紹介されて、いっそう虚実がないまぜとなる。

 

※大井の由来の絵本は、その後、里山の公民館でのコミュニティカフェで配布したり、地域の文化祭で、他の絵本といっしょに展示されたりした。ヒラトモ様の紙芝居は、山伏の聖地である山のふもとの老人ホームのお祭りで、三年ぶりに再演する。

 

ムジナの霊が現れて今いるムジナに舞いを教える(貉の生態研究⑤)

【身振りの模倣】

70年以上前、大井の村人がおこなったという戦勝祈願にならって、古式にのっとり(この時ばかりは)自転車に乗って、和歌神社、摩利支天、宮地嶽神社、金毘羅様、田島様と「五社参り」を敢行する。

かつての木剣の代わりに「木の根」が献納されている石のホコラの平知(ヒラトモ)様に、新年、日本酒の小瓶を献上してみる。あるいは、平家物語の知盛の最期の節を読み上げてみる。

 

※大井川歩きでは、原則として「車輪」に頼らない。しかし、戦争中も、自転車で回ったという五社参りでは、20キロ余りの道のりを自転車を走らせた。すると不思議なことに、出征兵士の無事を真剣に祈る気持ちが乗り移ってくる。

「五社参り」は男がおこない、婦人会では近場の「三社参り」(和歌神社、摩利支天、平知様)をおこなっていたと教えてくれた吉田茂三さんも、先年亡くなったと聞いた。

平知様は、もとは無名の古墓だが、明治以降、名高い平知盛の墓であるという風評がひろまる。当時の村人に思いをはせて、「見るべき程の事は見つ、今は自害せん」という知盛の言葉を、誰もいない里山に響かせる。すると、孤独な魂が、たしかに慰められるような気がするのだ。

 

 

ムジナが物語をくわえて方々に走り出す(貉の生態研究④)

【虚構の介入】

かつて北九州枝光での演劇ワークショップで、演出家の多田淳之介さんは、参加者に地元の事物をネタに寸劇を作らせて、それを実際に上演することで、鮮やかに「虚構」を地域の歴史につなげてみせた。自ら何年も枝光の盆踊りに飛入り参加し続けて。

大井川流域でも、地域の古老が話す伝承の断片は、「虚構」という接着剤でつなぎあわせると、新しい物語としてよみがえり、土地の歴史につらなっていく。

 

※お年寄りからの聞き書きをもとに、手作りの絵本をつくる。どのお話も同じ土地を舞台にしているから、各話の共通の登場人物が、自然とキャラクター化されたりする。今のところ、狂言回しの語り部は、村の氏神の祭神、柿本人麻呂だ。

 

ムジナがうろつく土地が意味にみちてくる(貉の生態研究③)

【フィールドの情報化】

寺社やホコラ、ため池、アパートなど土地のさまざまなモノは、それぞれの歴史をもつ。それぞれの歴史は、それに立ち会う生き証人をもつ。あるいは多少の記録をもつ。町角やあぜ道でよろよろと歩きながら登場するお年寄りたちは、個人情報保護という「奇怪な観念」に汚染される前の無垢の表情で、自分の氏名や生年、土地にまつわるたくさんの記憶を気前よく与えてくれる。

 

※地元の歴史地図みたいなものを開くと、実は僕の住むあたりは、名所や遺跡の無い歴史の空白地帯のように見える。しかし、道端で出会った人たちとの立ち話を通じて、けっしてそんなことはないと気づくことになった。