大井川通信

大井川あたりの事ども

疎開の意味

戦争中の生活を描いた『夏の花』の連作を読むと、「疎開」にもいろいろな種類があることがわかる。そもそも、疎(まば)らに開く、だから、原義は軍事作戦用語で、集団行動している兵を散らして攻撃目標となるのを避けることのようだ。

主人公は、千葉から実家のある広島に単身疎開してくる。こうした自己責任による疎開は「縁故疎開」と呼ばれる。実家の子どもたちは、遠方に集団疎開した者は助かったが、まだ年少でそれに参加できなかった子どもは命を落とした。子どもの疎開は「学童疎開」と呼ばれ、おそらく一般的な疎開のイメージはこれだろう。主人公の実家は軍隊に納品する工場をしているが、空襲が始まると、軍から「工場疎開」を命じられる。

近隣の民家が次々に取り壊されていく描写もあり、実家の次男の家も一時は「建物疎開」の指定を受けるが、市の有力者にかけあってそれを免れている。こういう疎開は知らなかった。空襲による火災で重要施設が延焼するのを防ぐために、防火地帯を設ける目的で計画的に建物を撤去したらしい。江戸時代には、火災を消し止めるために周囲の建物を壊したと聞いて、ずいぶん野蛮な方法だと思っていたが、戦争中にも平然と同じことが行われていたのだ。しかし、原子爆弾の威力の前には、建物疎開は何の効果もなかっただろう。

大井川周辺での聞き取りでも、戦争で親戚を頼って村に移り住んできた人たちは「疎開者」と呼ばれて、地元の人との溝は長く残っている、と聞いて驚いたことがある。しかし今の時代には、頼るべき田舎の親戚も、田舎での生活を支える農業の基盤もすでに残ってはいないだろう。