大井川通信

大井川あたりの事ども

ファミレスの自己組織化論

ある町の教育研究大会で、旧知の女性教師の公開授業を観る機会があった。会うのは、ほぼ20年ぶりになる。当時、ある事務所で働いていたとき、彼女は同じ係の臨時職員をしている教員の卵だった。

経緯はまるで覚えていないのだが、彼女と一度、二人だけの読書会をしたことがある。職場近くのファミレスで、生物の自己組織化をめぐる少し難しい本を読んだ。当時、現代思想では自己組織化論がブームだったから、理科が専門の彼女に声をかけて、知識を得ようとしたのかもしれない。その本の生物観に、彼女がとても不満そうだったことだけはよく覚えている。そのあとすぐ彼女は採用試験に合格して、それきり会う機会もなかった。

体育館の一角の公開授業のスペースに姿を見せた彼女は、驚くことに当時の容姿とほぼ変わらない姿だった。ただ20年間子どもたちと真剣に向き合ってきた経験の厚みを、いやおうなくにじませて、実に堂々と6年生の国語の授業を行っていた。全体集会では、壇上で、何より「ひとりひとりの読みをつくる」ことを心掛けている、と発言した。

人間をつくるのは、日々の繰り返しと継続だと思う。彼女の今の姿に圧倒されるとともに、自分をかえりみて、心細く感じざるを得なかった。しかしまあ、少しの本を読み、世界の断片と生活について考えて、「自分なりの読みをつくる」という作業だけは、ほそぼそと続けているか、と思い直す。相変わらず、ファミレスのテーブルを主戦場にして。

 

 

脱力系のカトリヤンマ

日の射さない林の中を、大柄のトンボが飛んでいる。見た目はヤンマのようだが、ハグロトンボみたいに、はかなげに羽をばたつかせて飛ぶ。みしみしと大男が歩くようなオニヤンマの力強さや、高速ギンヤンマの自由自在な飛行とは比べるべくもない。

近くの枝にとまると、重力にまかせるように、羽を広げて身体を垂直にぶら下げているのも、見るからに脱力系だ。腹はとても細くて、先端にはIC部品のような繊細な付属器が突き出ている。腹の付け根がいっそう折れそうなくらいに細い。

図鑑で調べると、カトリヤンマだった。林の中で、とくに夕方を好んで活動するらしい。こうしてトンボの名前も、身近なところからひとつひとつゆっくり覚えていこう。植物や花の名前には、相変わらずいっこうに手がかりがないが。

 

 

クロスミ様とアミダ様

久しぶりに、クロスミ様にお参りしようと思って、朝一番で近所の里山を目指す。数年前に、ミカン畑がソーラー発電に変わってしまってから、山道にトラックが入らなくなってしまったために雑草が道を覆い隠している。イノシシもこわい。あえなく断念して降りはじめると、下からご夫婦が登ってくるのに会う。10年前に、初めてクロスミ様の存在を教えてくれたり、自宅の裏山の古墳を案内してくれたりしたマツシゲさんだ。今でも毎日お参りしているというので、「渡りに船」とばかりに後からついて登る。

ご夫婦は、クロスミ様のホコラの前に並んで、きちっとお参りをする。僕はそのうしろでぎこちなく頭を下げる。山上で大井に戻るご夫婦を別れて、僕はモチヤマ側の急な山道を降りる。クロスミ様はモチヤマ村の神様だから、こちらが正式な参道だ。しかし、こちらもかなり荒れている。村人の高齢化によって、お世話をする人が急速に減っているのだろう。江戸時代の末に、疫病から村を守ったと伝えられるクロスミ様も、大井村の戦勝祈願のヒラトモ様と同じように、やがては忘れられていく運命にあるのだ。

ようやく細い山道を降り切って、モチヤマの集落の中を歩く。あちこちに彼岸花が美しい。小高い場所のお堂に、木造の阿弥陀仏の座像がまつられている。お堂に朝日がさしこんで、平安の末期から千年近く村を守ってきた阿弥陀様を、木製の格子ごしに間近く拝する。虫食いで傷んだ大きな手のひらが、慈悲深く差し出されていて、不信心な僕も思わず南無阿弥陀仏の言葉をとなえる。しかし、こんな信仰本位の、ある意味無防備な環境が、近年多発する文化財の窃盗の温床にもなっているのだろう。

モチヤマを離れて、県道を大井へと戻る。右手の大井ダムは、もっと大規模な給水施設の完成によって水道用貯水池としての役割を終えて、干からびた湖底をさらしている。左手の里山は、ソーラー発電所の開発のために、無残に赤茶けた山肌をさらしている。目には青空と彼岸花

 

 

 

 

名探偵登場!

エドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人事件』(1841)は、史上初めての推理小説であり、このジャンルにおける原型を作り出したといわれる。以下は、素人探偵のデュパンが、語り手を相手に謎解きをはじめる場面の描写。

 

「その間も、デュパン君は、依然として、独語のように、ひとり喋りつづけている。こんな時に、彼が、一種の忘我状態に入ることは、前にも言った。一応は、この僕に話しかけているのだが、その声は、特に大きいとは言えぬくせに、まるで遠くの人にでも話しかける時にするような、独特の抑揚を帯びている」(太字筆者)

 

今では、推理小説やドラマでおなじみのこうした場面も、この小説によってはじめて造形されたものだと思うと感慨深い。

ここには二つの要素がある。一つは、探偵が「忘我状態」にあること。これは、隠された真理を伝えるイタコやシャーマンの役割を担っていることを示している。

もう一つは、探偵の話す言葉の「独特の抑揚」だ。これはまるで、舞台上で役者が話す芝居がかったセリフの描写のようだ。役者が言葉をとどけたいのは舞台の外の観客である。同様に、名探偵が本当に推理を語りたいのは、相方ではなくて物語の世界の外の「遠くの人」である読者なのだろう。

この謎解きの場面の二要素は、その後、様々なバリエーションを生むはずである。卑近な例では、眠りながら推理する「眠りの小五郎」や、視聴者に直接問いかける「古畑任三郎」など。

 

天邪鬼について

読書会の課題図書で、岩波文庫エドガー・アラン・ポー(1809-1849)の短編集を読む。『黒猫』『天邪鬼』で展開されている「あまのじゃく論」が新鮮だ。これが他の諸短編を貫いており、全編「天邪鬼小説」として読めるのではないか。

新鮮さの由来は、天邪鬼(してはいけないことをしてしまう)を「人のもっとも原始的な衝動」としながら、あくまで形式的、表面的にながめる視線である。現代の思想ならば、個人の人格の問題として抑圧された内面に原因を求めたり、トリックスターの振る舞いとして社会の活性化を真の動因としたり、いずれにしろそこに「深さ」を見てしまいがちだ。

形式的な視線ゆえに、作者は天邪鬼の具体例として、話し相手や小動物にたいする意地悪、締め切りを遅延する衝動や高所からの転落の誘惑など、ささやかでリアルな場面を描く。これは観念ではなく、飲酒癖と虚言癖をもっていたというポー自身の実体験なのだろうが、今の僕にも驚くほど親しみのある光景だ。

『ウイリアムウイルソン』における、一見深刻な分身現象も、自身の成功をはばむ天邪鬼と解することができるし、『モルグ街の殺人事件』におけるオラウータンも、動機なく日常をかく乱する天邪鬼そのものと見ることができるだろう。

『黒猫』『裏切る心臓』『天邪鬼』では、「隠さないといけないのに思わず明かしてしまう」という天邪鬼が主人公を破滅を招くが、『盗まれた手紙』では、「隠さないといけないものをあえて表にだす」という天邪鬼を、犯罪者が意識的な手口として利用している。いずれにしろ、天邪鬼的形式をとった作品が多いのはまちがいないだろう。

  

ある経営者の信条

次男は、特別支援学校を卒業して、昨年春からある介護施設に勤務している。グループ会社を統括する社長は、地元では有名な起業家だ。入社式には妻が参観したのだが、隣に座った社長が気さくに声をかけてくれて、自社を好意的に取材しているビジネス書を直接もらったという。

民間企業だから、毀誉褒貶はもちろんある。ただ、いろいろハンデがある次男が、正社員としてなんとか一年半働くことができているのは、親としてありがたい。たたき上げの経営者だから、商売人としての自身の哲学が前面に出ている社風となっていて、息子が月一回参加する職員会議の資料の一枚目は、社長自ら書いたレジュメだ。

先月の資料を見ると、「終戦記念日」の項目があって、原爆や戦争での死者数を取り上げ、「この血と涙と悲しみを人類は絶対に忘れてはいけない!」と書かれている。戦前に生まれて、戦後の混乱期を生き抜いた体験からでてきた言葉だろう。標榜する「社会貢献」も、実際に社会の悲惨を目の当たりにしてきたところに根差しているような気がする。商売第一で保守政党支持とはいえ、やわな理想主義では敵わない性根の座り方を感じる。

個人主義マネーゲームの知識と経験しかもたないスマートな経営者が、世の中の中心を担うようになるにつれて、社会はさらに確実に変質していくのだろう。

 

 

 

 

50銭の思い出

ピカピカの50銭銀貨を手に入れて、うれしかったものだから、妻に自慢してみる。銀貨を手に取った妻は、こんな思い出を話し出す。初めて聞く話。

子どもの頃、博多の下町には、いろんなものをリアカーで売りに来た。オキュウトや豆、豆腐、それにさお竹や金魚など。昭和40年代初めの頃だ。(同じ時期の東京郊外には、そんな光景はなかった)

妻の祖母は東北出身で、びっくりするくらい大きなリボンを頭につけた女学生時代の写真に驚いた記憶があるという。たぶん大正の終わり頃に撮ったものだろう。

今から四半世紀前に亡くなる直前には、だいぶ呆けていたそうだ。「50銭をやるからオキュウトを買っておいで」と何度も頼まれたらしい。50銭がないのはもちろん、オキュウトももう売りにこないから戸惑うしかなかった。

銀貨は、人々の間で、小さな期待や喜びとともに受け渡されてきただろう。本物を手にする人に、思ってもみない感情や記憶を呼び起こす力がある。ストックブックに入れっぱなしはもったいない。次の読書会では、林芙美子のファンに、小説に出てくる「白か金」の実物といって見せてあげよう。

 

 

 

 

とあるブックカフェで

近在の集落に面白いブックカフェがあると聞いたので、訪ねてみた。真新しい住宅街に囲まれて、ひっそりと鎮守の森と集落が連なる路地がある。その突当りに、蔵を改装したカフェがあった。

ご主人と奥さんが、主に休日に開いていて、お茶を飲みながら、棚に並んだ本を自由に読める場所だ。二階には、絵本が置かれた子どものコーナーと、ギャラリーがある。

ご主人は、この家で生まれ育って、蔵の二階は自分たち兄弟の勉強部屋として使われていたらしい。子どもの頃、周囲に広がっていた里山は、次々に新興住宅地に生まれ変わって、今では旧集落を飲み込む勢いとなっている。林は、家の裏手の斜面にそってわずかに残るばかりだ。集落の古くからの住人である彼が、住宅街の人々をどんなふうに見ているか気になった。

僕は、近在の別の里山を開発した住宅団地に住み着いた人間だ。里山の地形を変えて、それまでの歴史を強制終了させて出来た土地に住む、という後ろめたさはある。旧集落を歩いて、その歴史に浸ろうとするのは、罪滅ぼしの気持ちからかもしれない。ただ、住宅団地には新しい家族たちの生活と歴史が始まっている。旧集落の歴史と切れているとはいえ、それがまがい物の生活や歴史とはいえないだろう。

人間関係ができる前から、性急に理屈っぽい持論を展開してしまうのは、僕の子供じみた悪い癖だ。音楽好きで劇団にも長くかかわってきたというご主人は、穏やかな表情で対話に応じてくれる。

その場では話さなかったが、僕には逆の立場の経験もある。東京郊外の実家の隣には、「原っぱ」と呼ばれる雑木林の空き地があって、勝手にゴミを燃したり、子どもが遊んだり、我が家の小さな里山みたいに使っていた。それが今では数軒の住宅に変わっている。

切断は仕方がない。人間の暮らしは力強く再スタートしているのだ。若い家族には、新しい家を手に入れた喜びはひとしおだろう。しかし、同じ土地の形式的な利用の継続というだけではなく、やはり、なにかもっと実質的につながるものがあってほしい。たとえば、かつてこの場所にあった「原っぱ」で、数十年にわたってある家族の営みがあったことを、伝えたいとも思う。まっさらな土地で暮らし始めた家族にとっては、知りたくもない余計な情報なのかもしれないけれど。

ブックカフェの近くの公民館前の広場には、垂直にそびえるロケット型の遊具があって、子どもたちがロケット公園と呼んでいることは、以前から知っていた。今回久しぶりに訪ねると、老朽化した遊具はすでに撤去されている。それがアポロ計画の時代の空気を伝えていることすら、忘れられていたのだろう。

そんなことまで考えると、すっかり話はまとまらなくなってしまった。ただ少なくとも僕にとって歴史は、紙に書かれた史実ではない。人々の、とりわけ自分自身の、喜びや祈りや喪失感とともに、今この場に立ち現れるリアルな遠近法のことである、とまとめておくことにしよう。

 

 

 

 

 

木の穴の恐怖

ヤマガラが、木の幹に出来た穴に何度も出入りしているのを見てから、林を歩いていても、木の穴がむしょうに気になりだした。上を向いた木の穴には、水がたまっていることがある。ヤマガラは、そこで水浴びをしていたのだ。

その同じ穴の中に、今度は、スズメバチがゆっくり入っていくのを見た。しばらくしてから、飛んで行ったが、何をしていたのだろうか。

林の木々には、想像以上にたくさんの穴があいている。おそらく、そこには、人目を避けて生物たちの営みが行われているのだろう。穴は木の幹深くに達し、地中にまで続いていて、どこか別の世界へと通じているのかもしれない。

別の木の幹にある穴をのぞきこむと、暗い水面に半分顔を出しているカニと目が合った。カニはしばらく僕を見ていたが、ふいに穴の奥深くに消えてしまった。

 

古銭を買う

僕には、ストックブック一冊分のささやかな古銭のコレクションがある。小学生の頃通った「国立スタンプ」で、わずかな小遣いで買いあつめたもの。その後、立川の中武デパートの古銭屋で、思い出したように手を出したもの。それに、母方の実家のおじさんからもらったものが中心で、価値のあるものなんかはない。

今の家では、少し離れたショッピングモールに、金券や切手の他、古銭も売っている店があるが、通りがかりにこっそりショーケースをのぞくくらいが関の山だった。

ところで、先月の読書会で林芙美子の「風琴と魚の町」を読んだときに、当時の小銭が出て来る場面があった。尾道の露店で、タコの足の揚げ物をねだる芙美子に、母親が財布の中身を手のひらに出して見せる。そこには赤い銭(銅貨)が二、三枚しかなくて、白い銭(銀貨)がないからタコの足は買えないと説明する。あとで父親の薬の行商がうまくいくと、白い銭をたくさんもってかえってくる。

自分のコレクションを確かめると、一銭銅貨と10銭白銅貨は、どちらも大正の終わりの発行年だから、芙美子一家が尾道に移住した大正5年に使われていたものではない。それがなんとなく不満だった。

ショッピングモールの古銭屋で、このことが僕の背中を押した。店員に声をかけると、古銭を並べた薄い木のケースやファイルブックをいくつも見せてくれる。想像より充実した在庫だ。小説の資料を集めるという名目があるから、知識の乏しい僕も堂々と品定めできる。

こうして、大正5年の10銭、大正元年の50銭という二種類の銀貨と、明治13年二銭銅貨を手に入れた。銀貨は、芙美子が見た100年前の白い輝きそのままだ。