ある町の教育研究大会で、旧知の女性教師の公開授業を観る機会があった。会うのは、ほぼ20年ぶりになる。当時、ある事務所で働いていたとき、彼女は同じ係の臨時職員をしている教員の卵だった。
経緯はまるで覚えていないのだが、彼女と一度、二人だけの読書会をしたことがある。職場近くのファミレスで、生物の自己組織化をめぐる少し難しい本を読んだ。当時、現代思想では自己組織化論がブームだったから、理科が専門の彼女に声をかけて、知識を得ようとしたのかもしれない。その本の生物観に、彼女がとても不満そうだったことだけはよく覚えている。そのあとすぐ彼女は採用試験に合格して、それきり会う機会もなかった。
体育館の一角の公開授業のスペースに姿を見せた彼女は、驚くことに当時の容姿とほぼ変わらない姿だった。ただ20年間子どもたちと真剣に向き合ってきた経験の厚みを、いやおうなくにじませて、実に堂々と6年生の国語の授業を行っていた。全体集会では、壇上で、何より「ひとりひとりの読みをつくる」ことを心掛けている、と発言した。
人間をつくるのは、日々の繰り返しと継続だと思う。彼女の今の姿に圧倒されるとともに、自分をかえりみて、心細く感じざるを得なかった。しかしまあ、少しの本を読み、世界の断片と生活について考えて、「自分なりの読みをつくる」という作業だけは、ほそぼそと続けているか、と思い直す。相変わらず、ファミレスのテーブルを主戦場にして。