大井川通信

大井川あたりの事ども

球はふしぎな幾何学である。無限であり、有限である。

球面はどこまでいっても際限はないが、それでもひとつの「閉域」である、と見田宗介は近著『現代社会はどこに向かうか』の中で、続ける。

だから、生産と消費の無限拡大のグローバルシステムは、地球表面上での障壁を消し去るかに見えるが、そこで最終的な有限性にぶつかることになる。そうして人間は、世界の有限という真実に立ち向かい、新しい局面を生きる思想とシステムを構築することになる。それが、近代のあとの「永続する現在の生の輝きを享受するという高原」であると、見田は喝破する。

見田の予言の当否はともかくとして、標記のレトリックは、僕に、自我という球体のことを連想させた。自我はふしぎな幾何学である。その球面に映る世界に際限はないが、それでもひとつの閉域ではないか、と。

人は、どんなこともできるし、どこへでも出かけ、どこまでも見通すことができるかもしれない。しかし、その無限の可能性は逆に、自分という地平からは決して逃れられないことを示している。はたして、人間は自己の有限という真実に立ち向かい、「現在の生の輝き」を享受することができるだろうか。