大井川通信

大井川あたりの事ども

クルマの恐怖

地方都市で、転勤の多い仕事なので、実際に車でしか通勤できない職場に通うことが多い。中央分離帯なんてもののない狭い道を高速で走ると、トラックや自家用車が次々にすれ違っていく。時々、そのどれか一台がわずかにハンドル操作を誤るだけで、正面衝突の事故となり、即死かひん死の重傷を負うのは間違いないと考えると、背筋が寒くなる。

人間なんてうっかりして間違えるのが専門のような生き物だ。毎日往復2時間の間にどれだけの数の車とすれ違うだろう。それを何年、何十年。その膨大な数のすれちがうドライバーの中に、うっかり者やテレビやスマホの画面に気を取られた者や体調が急変して意識を失った者が紛れ込んでいない、と考えるほうが不自然で無理な話だろう。

人は病気になることや将来の生活の不安についていつも口にする。それらはあくまで将来の可能性の問題だ。しかし、すれちがう一台一台の車は、具体的で現在の差し迫った危険そのものなのだ。一台一台が、死神だ、といっても大袈裟ではなく、単なる事実の記述だろう。しかし、この事実は、なぜかほとんど口にされることがない。『クルマを捨ててこそ地方は蘇る』は、もっと穏やかな口調だけれども、この問題にきちっと触れていて、共感できた。

たとえば、病気になっても近代的な医学に基づく治療を受けられずに、神頼みか民間療法しかなかった昔の生活を想像することは、現代人には難しい。それと同じく、近い将来自動運転技術が実用化された後の時代の人々は、こんな恐ろしく危険な作業を人間に平気で任せていた野蛮な時代は想像ができない、と振り返るような気がする。