大井川通信

大井川あたりの事ども

『コンプレックス・シティ』と諸星大二郎さんのこと 

大学を出て地方都市で一人暮らしを始めた頃、仕事が面白くないこともあって、漫画をむさぼり読むようになった。諸星大二郎(1949-)は、高校時代から『妖怪ハンター』で知ってはいたが、この頃繰り返し読んだ『コンプレックス・シティ』(1980)が、とりわけ思い出深い。ギャグからシリアスな現代ものまでごった煮のような短編集で、世界のむこう側に突き抜けたような解放感を味わえた。その頃よく読んだ大友克洋の『さよならにっぽん』とセットになって、当時の暮らしの記憶とかたく結びついている。

それから後も、僕は諸星大二郎をずっと読んできた。人生の様々な時と場所で、諸星作品と出会い、考えることや想像することへの励ましを受けてきた。大井川歩きを始めたのも、この土地の事物をてがかりに諸星作品を読んでみたい、できれば彼のような想像力を発揮してみたい、と考えたのが一つのきっかけだった。

だから、心の中では、諸星さんには一度どこかで会ってみたい、実在する姿を確認しておきたい(笑)、と思ってはいたが、おそらくそんな機会はないだろうと考えていた。

しかし、人生というのは何が起きるかわからない。長く生きると、よくない事も山のように起きるが、時に奇跡のような幸せに恵まれることもある。諸星さんが僕の地元のイベントに招かれて、僕も関係者として同席することができたのだ。

諸星さんは、全く大家らしくなく、ほんわかとした人だった。彼のギャグ漫画に登場する自画像にそっくりで、なぜか動作まで似ていた。実在の人物というより、略画のようなキャラクターに近い感じだったのは、諸星さんらしい。

諸星大二郎をのせた車が、大井川の川べりを走り、水神様と大井始まった山伏様の脇を通り抜けていく。僕の小さなフィールドのど真ん中だ。僕はこの瞬間を忘れまいと思った。二日酔いの諸星さんはかすかな寝息を立てていたけれども。

博多駅で別れる時、たくさんの作品を生み出した大きな手のひらで握手をしてもらった。