大井川通信

大井川あたりの事ども

『涼宮ハルヒの消失』2010

『君の名は』を観るついでに『涼宮ハルヒの消失』を借りて、久しぶりに観た。やはり良かった。二作続けて観ると、後者の描く世界の広さや深さがきわだっているように感じられた。もちろん、前者もすぐれた愛すべき作品だし、原作とアニメのシリーズを背景にもつハルヒと同じ条件で比べることはできないだろう。

アニメにはまったく素人だけれども、ふだん愚にもつかないことをとくとくと述べているくせに、『消失』の面白さについて何も書けないというのはくやしいので、細部にはこだわらずに論点の整理だけはしておきたい。

『君の名は』では、瀧は、三葉と非現実的な仕方で出会って、彼女を愛するようになり、非現実的な働きで、一つの町の住人を救う。こうした虚構の世界で活躍する瀧を、現実の世界からながめる瀧がいるとしたら、彼は、その世界で少しも劇的でなく三葉と出会い、ヒーローとしてでなく地味に社会に関わることだろう。その場合、瀧に選択権があるとして、虚構と現実、どちらの世界を選ぶだろうか。

『君の名は』では問われることのないこの問いが、『消失』で主人公のキョンが直面する問題だ。クリスマスに近いある日、キョンは、物語のキャラクターたちが、まったく普通の高校生になっている世界に迷い込む。このとき風邪の流行という地味な異変が起きているのだが、現実の生活のくすんだリアリティを上手く表現していると思う。

宇宙人が作ったアンドロイドの長門は、ただの内気な読書好き少女だし、未来人の朝比奈さんは、無関係な上級生。ハルヒと超能力者の小泉は、別の進学校の生徒になっていている。もちろん、ハルヒを団長とするサークルSOS団は、影も形もない。キョンに現実に残された可能性は、内気な長門と文芸部で地味につきあうことくらいである。

実は、この「世界の改変」は、キャラクターの中で最も虚構の要素が強く人間味が乏しい長門が望んで、実行したものなのだ。だから、長門は、キョンとの普通の高校生同士の交友を改変後の世界にのこしたのだが、キョンの方は、最終的にもとの世界に戻ることを選択する。改変前の世界にいる長門たちの協力を得て、世界はまた、ハルヒたちSOS団クリスマスパーティーを準備する世界へと再修正される。

元に戻っただけで何も変わっていないかというと、そうではない。キョンが自ら虚構を選び直したという事実は消えないし、長門がいったんは現実の方を選択したという事実も消えない。だから、いつも長門に守られてばかりだったキョンが、これからは長門を守ると誓うようになるのだ。そして無表情な長門にも、内気な少女の姿が二重写しになり、現実と虚構とを媒介する立ち位置が与えられることになる。

キャラクターの中で、長門有希の人気が高いのもうなずけるところだ。

 

 

 

巨大なもの

これまた、今頃になってビデオ録画した『シン・ゴジラ』(2016)を観た。十分面白く、楽しめる作品だった。冷静になれば、生物にすぎないゴジラを、あれほど強力な存在に描くのは無理があるし、そのわりに無防備に活動停止してしまうのはどうかと思う。しかし、ゴジラを巨大に見せる映像の技術は格段に進歩していて、その巨大さという皮膚感覚が、ゴジラへの恐怖とともに、その途方もない能力に対する説得力を与えているようだ。

何かを巨大に感じる、というメカニズムは意外と複雑なのかもしれない。その感覚は、そのものの物理的な大きさを必ずしも反映しない場合がある。見慣れた高層ビル群は、巨大さをほとんど感じない。先日、東京スカイツリーに初めて上ったが、間近に見上げる塔の姿は、やはり異様なほど巨大だった。

実家近くの東京郊外には、少し歩くと、古くからの農家のお屋敷があって、昔ほどではないが、防風林のケヤキの大木が残っている。記憶を頼りに訪ねると、期待通りのケヤキが一本立っていて、その巨木の高さには目を見張った。しかし高いといっても、せいぜい30メートルくらいのものだろう。

おそらく、巨大さとは、通常のスケールをはみ出して、既存の尺度が役に立たなくなるモノを前にしたときの、その茫然自失の感覚なのだと思う。

 

 

ある美術家の生涯

ある美術家の回顧展を公立美術館に観に行く。

1960年代末には、既存の表現や制度を「粉砕」して、グループで「ハプニング」と称する過激な実践を繰り返すが、逮捕され、孤立する。この時代は、ビラやポスターや写真等の資料展示で、いわゆる作品はない。

15年の「沈黙」のあと、80年代末には、銀一色の絵画作品を発表しはじめる。初めは、大きな平面に銀色の絵の具を流し込んだだけの「表現」とは遠い所から出発して、数年ごとのまとまった連作によって、少しづつ、作品は意図的な表情をもつようになり、色彩や具体的モチーフが導入されるようになる。

00年代に入ると、色や形を描いて「表現」するという傾向は顕著となるが、シリーズ名を冠した連作を描きながら、シリーズの交代によって作風を変えていく、というスタイルは変わらずに現在にいたる。

作者の60年にわたる表現活動の熱量が伝わる興味深い美術展だった。小部屋に展示された「ハプニング」時代の資料が、いかにもその時代を映していて面白く、また、コンクリート打ち放しの壁面のような表情の銀一色に輝く作品に囲まれた展示室は、ぼおっと光の粒子のカスミがかかったような空間となっていて美しい。その延長に置かれると、具体的なモチーフを回復し、絵画を再生していくシリーズ群が、個々の作品の魅力はともあれ、強い説得力をもつ。

素人なりに、受けとめた事柄が二つ。一つは、今の時代の表現が、形式的なものの徹底とその交代という「形式」に終始しており、まさに「形式」に取りつかれているということだ。路上でのパフォーマンスや美術展への乱入などの「粉砕」活動も、銀一色の絵画の連作も、それが「形式」への拝跪である点で等価に見える。

もう一つは、美術をめぐる言葉のありようだ。展示のキャプションは、作者によるシリーズの継ぎ目を、言葉をつくして滑らかに説明しようとする。この回顧展という企画自体が、美術家の生涯の表現活動を素材にして、それを一貫した文脈に落とし込む言葉の力によるものといえる気がする。これは、ある程度、美術家の自意識を代弁するもので、美術家と共犯関係にあるといえなくもない。

しかし、と思う。この作品にまといつく器用な言葉のぬめぬめとしたうっとおしさは何だろうか、と。そこには批評ばかりか、ほがらかな肯定も不在である。

 

彗星の行方

今頃になって、レンタルビデオで借りて、新海誠監督の『君の名は』(2016)を観た。想像していたより、ずっと普通に楽しめるよい作品だった。物語では、彗星の接近が重要なモチーフになっているのだが、夜空に長く尾をひく彗星の映像がとても印象的だ。

僕が子どもの頃、アメリカの宇宙開発の影響もあって、天体や宇宙に興味をもつ子どもは今よりずっと多かったように思う。小学生の高学年のときには、友達と先生にお願いして天文クラブを校内に作ったりもした。

当時、76年周期で地球に接近するハレー彗星が有名で、あこがれをもった。1910年の接近では、西の空から東の空にかけて、サーチライトのように夜空に長く尾をひく姿が見られたという。まるで『君の名は』の彗星接近のシーンと同じだ。だから、次の接近年の1986年は、僕に取って初めての(そしておそらくは最後の)心待ちにする未来の年になった。まだ10歳くらいの子どもにとって、15年後は想像もできない遠い未来だったろう。

しかしその年は、あっけなく通りすぎた。就職して3年目で赴任地での仕事と生活に疲れ切っている時だったし、「有史以降もっとも観測に不向きな接近」だったようで、まったくの期待外れだったのだ。僕はハレー彗星を肉眼で見た記憶はない。

リベンジの機会は意外に早く訪れた。その10年後の1996年と1997年に、二つの大彗星が地球に近づいたのだ。ヘール・ボップ彗星と百武彗星。転職した仕事も安定して、結婚して子どもも生まれていた。夜中、近所にある陸続きの志賀島までドライブして、理想的な環境で大海原の上の彗星を見ることができたのだ。

ただ二つの彗星とも、ぼおっとした薄いガスのかたまりのようで、天体写真で見るような、まばゆい核が美しい尾を引くというメリハリのある姿ではなかった。そうして、ようやく子どもの頃からの彗星へのあこがれを終わらせることができたのだと思う。

 

 

 

トビとナマズ

ふいに田んぼから飛び上がったトビが、何かだらりとつりさげている。魚にしてはヒレなどが目立たずに、妙にぬめっとしている。反対側のあぜに着地しても、獲物に食いつく様子はない。気になって近づくと、また同じ獲物をぶるさげて、林の入り口まで飛んで行く。

その場所に行くと、サイクリングロードの舗装の上に、大きなナマズが落ちていた。胴体の一部は欠けているが、頭から胸にかけてそのまま残っている。ハエがたかっていて、あまり新鮮な死骸ではなさそうだ。近くの大木の枝にトビがとまっているが、胴体の下側から尾羽の裏側が白っぽく、精悍な若鳥だ。

一時間ばかりあとに見に行ったが、ナマズの死骸はそのままだったから、エサにはせずに放棄したのだろう。梅雨の晴れ間。遠くでホトトギスがしきりに鳴く。

 

二人の法学者

もう何か月か前の話だが、同じ日の新聞に、ゆかりのある二人の法学者の記事が出ていた。

僕は法学部の出身だけれども、学生時代に購入した法律学の教科書や専門書で手元に残しているのは、一冊しかない。当時、学部の看板だった刑法学者のN教授の本だ。N先生の子どもが大学院にいるという話は聞いていたが、息子さんは母校で憲法学者になっていた。今年になって高速道路での不慮の事故でなくなり、追悼の記事は、彼のリベラルな姿勢を評価するものだった。

もう一つの記事は、民法学のK教授の最終講義を紹介したもの。まだ教授が少壮の研究者の頃、僕は講義を聞いたり、ゼミに参加してレポートを書いたりした。後に大学の総長になり、現首相肝いりの審議会の座長をしたりしていたから、まあリベラルとは言えないだろう。記事で見る限り、最終講義の内容もごく実務的なものだったようだ。

長い間、せっかくの大学で実学を専攻したことを後悔していた。社会の中で、実用的には役立った側面はあるが、入学後、自分の関心は別のことにあるのを痛感したからだ。その関心は、結局独学で学ぶしかなかった。

しかし、最近になって、自分が本を読むときに、法解釈学で学んだ方法を下敷きにしているのではと思い当ることがあった。以前から、思想好きの仲間と一緒に本を読んでも、どこかズレを感じることが多かった。一言で言うと、無意識にとてもクセの強い読みをしてしまう。

短い条文を、判例、通説、少数説というような解釈の歴史のなかで読み解き、背後にある体系と関連づけて、首尾一貫性や合理性の観点から解釈の優劣を判断すること。これは相当しつこい読み方だ。

人生にはどんなことでも無駄なものはないと、少し救われたような気になった。 

バベルの塔

マウス型ロボットが/高速戦車に追われて/砂嵐の砂漠を疾走する

戦車がロケットを発射すると/マウスは敵もろとも/砂を噴き上げて自爆する

 あと一台・・・

薄暗い塔の中/バビル2世は/大型モニターを見上げて/防衛システムに次々と指令を出す/すでに/立ち並ぶコンピューターや計器のあちこちから/炎と煙が上がっている

少年は/かかりつけの医院の待合室で/少年チャンピオンのページを閉じた/ヒーローの戦いが/いつ終わるのかもわからないまま

昨晩/横山光輝が/寝タバコの煙に包まれて/力つきた/(半身がすでに不自由だったという)/畳の上には/消火用のマウスロボットが二台/むなしく走り回っていて

夜が更ける/誰もいない寝室で/僕は小型のモニターをのぞき込んで/主を失った/バベルの塔と交信する           (「バベルの塔」)

 

以前、横山光輝の訃報を聞いた時に、追悼の気持ちで書いたものを修正した。

横山光輝(1934-2004)が描く漫画の主人公は、僕のヒーローだった。とくに鉄人28号が典型的な、丸い胴体から四本の手足が伸びた形のロボットが、何より強そうでかっこいい。ガンダム以降の精巧なメカのようなロボットを見慣れている目には、なんとも旧時代の産物に見えるだろうが。

 

 

こんな夢をみた(バベルの塔)

とある施設の広い敷地の一角に、なぜか僕の所有する建物が建っている。夢の終わりの頃には、施設はなぜか学校になっていて、僕の所有建物も、その校庭の隅の、かなり大きな建造物になっていた。夢の途中で設定が変更になるのはよくあることだ。むしろ、めまぐるしく変わっていく夢の世界を、あとから一つの物語として思い出そうとするところに無理があるのだろう。

初めは僕の所有する建物の三階に小さな和室のようなものがあって、そこに僕の職場の人が出入りしている。すると、隣の施設は僕の職場の建物だろうか。部屋の隅で、僕の知っている部長が、女性相手にさかんに映画談義をしているところに、職場から呼び出しがかかった。何年も前の同僚が、ふらっと上の階から降りてくる。おや、この建物には4階もあったのか。この辺から建物が巨大化してくる。

下から見上げると、建物がコンクリート製で、一階部分はピロティのような広場だ。学校の敷地だから、子どもたちが周囲に多く、よく見ると打ちっぱなしの壁は、たくさんの落書きで埋まっている。所有者なのに、意外に腹が立たないものだな、と思う。物珍しいのか、大人たちがピロティ部分に立ち入っているので、ここは個人の持ち物だと注意する。

その中に薄ら笑いを口元に浮かべた若い男とその彼女がいて、彼らだけを、扉の内側に招いて、家の中を見学させてあげようとする。やれやれ。ちょっと強そうな相手に媚びを売って、いい顔をしようとするいつものあれだ。階段をあがる途中で、男が、本当に怖いのは彼女のほうですよ、と言うので、なんだか本当に恐ろしくなる。

それなら、どんな相手でも瞬間的に外に移動させられる光線が発射できればいいや。(すると、相手の男は光線に撃たれて、けいれんし始める) それに、執事がアンドロイドで、強い力を出せればいいや。(すると、僕はロボットの執事に変わって、相手がびっくりする)

まるで、最新鋭の機械に守られた『バビル2世』のバベルの塔みたいだな、と思ったところで、夢から覚める。夢の覚め際の意図的な想像が、夢の世界に干渉する感じは、初めてではなにしろ新鮮だった。

(2018.6.18)

 

『視線と「私」』 木村洋二 1995

保育園で、園児たちが口々に「見よって、見よって」と叫ぶ姿を見て、20年以上前に出版された、この本のことを思い出した。

僕みたいな独学者は、行き当たりばったりに本を読んでいく中で、自分が生きて考えていく中で、本当に役に立つ論理を見つけていく。学生時代に出会った廣松哲学がそうだし、その10数年後に出会ったこの本もそうだ。有名、無名は関係ない。

あとで調べると、著者は、関西の心理学者を中心にしたソシオン理論の研究グループに所属していることがわかり、文献を少し集めてみたのだが、やはり一番しっくりくるのは、社会学者の書いたこの本だった。

問題は、私とは何か、である。その私とは、もちろん他者たちとの関係のネットワークの中に生きる存在である。このことの詳細な事実は、様々な研究や思索によって明らかにされてきている。この本(ソシオン理論)がすばらしいのは、その簡潔なまとめ方である。人間や社会を理解するために、最低限必要な部分だけを残して、あとはざっくりと切り捨てた、そのモデルの単純さである。

私とは何か。第一の要素は、「他者の像(姿)」である。第二の要素は、「他者から見られた、私の像(姿)」である。そして第三の要素が、「私にとっての私の像(姿)」となる。常識的に言えば、本当の私(私Ⅲ)を育てるのに、他者をモデル(私Ⅰ)にしたり、他者から承認(私Ⅱ)されたりすることが、手段として有効である、という理解になるだろう。しかし、ソシオンでは、その三つは、同じ価値をもつ私の構成要素であり、むしろ、順番や働きにおいて、第一と第二の要素が重要なものと考えられるのだ。

確固とした私という実体があって、それがたまたま他者を模倣したり、他者からの承認を求めたりする、ということではない。他者の模倣や、他者からの承認ということ自体が、かろうじて私の姿をつかませる。「見よって!見よって!見よって!」という園児たちの叫びは、いまだ不確かな自分に形を与えようとする、必死の試みなのだ。

木村洋二さんは、笑いの研究でマスコミに取り上げられたりしたが、2009年に他界されている。学恩に感謝したい。

 

 

 

タコウインナー、あるいは見立てるということ

保育園の園庭で、三歳くらいの女の子が、手のひらに、いくつもの小さな花弁を載せて、それを見せに来る。「タコういんなー」

赤い花弁を伏せた姿は、広がった花びらがタコの足のようで、なるほどタコ・ウインナーそっくりである。女の子の親は、ウインナーソーセージの切り込みを入れて、お弁当にタコウインナーを入れてあげるのだろう。

僕は女の子からそれを一つもらい、あとで園の先生に確かめると、ザクロの花だそうだ。僕だけでなく、周囲のたくさんの大人が、そのタコウインナーを見せられているのもわかった。まさに「見て、見て」である。

ザクロの花弁は、タコというより、タコウインナーの方によく似ている。そもそもタコウインナーは、ソーセージをタコに見立てたものだろう。女の子は、さらに、園庭に落ちている花弁を、タコウインナーに見立てたのだ。女の子も、その花弁をタコウインナーそのものと思っているわけではない。それなら、口に入れるはずだし、食べられないとわかれば、それが勘違いと気づくはずだから。彼女は、その見立てを発見し、楽しんでいるみたいだ。

世界が、見立てによって成り立っていること、無数の見立てによってくみ上げられた壮大な伽藍であることを教えてくれたのは、廣松渉の哲学だった。廣松自身は、そんな言葉使いはしていないが。

廣松渉の独特の言い回しは、こんな風である。世界の仕組みは、四つの項のつながり(「四肢的構造連関」)として取り出すことができる。あるもの(ザクロの花)をそれ以外のあるもの(タコウインナー)「として」見ることができるためには、ある人(幼児)が、それ以上のある人(タコウインナーがお弁当に入る家庭の子ども)「として」育てられていることが必要である。

あるもの、それ以上のあるもの、ある人、それ以上のある人、の四つの項の連動の要は、「として」(見立て)にある。廣松の考え方は武骨で、記号論のようなスマートさはない。しかし、はるかに根底的に世界のダイナミズムをつかむ道具となると実感している。