大井川通信

大井川あたりの事ども

見よって!見よって!見よって!

保育園で、二歳から五歳までの園児たちと遊ぶ。広い園庭は草原となっており、里山の緑に抱かれているような素晴らしい環境だ。本当に久しぶりに幼児たちに接して、新鮮な気づきがあった。

昔、「異文化としての子ども」という本がよく読まれていたけれども、あらためて、幼児は、別の世界の生き物なんだと思う。

とにかく、泥んこ遊びが好き。砂場でもないのに、しゃがみこんで素手で土を容器にすくう。水がある場所では、喜んでこねて、ぐしゃぐしゃにする。

それから、虫が大好きだ。ダンゴムシはもちろんだが、バッタもハチも、小さな甲虫も草原で見つけては、器用に指先でつまんで持ち歩いている。

幼児たちは、どこかの時点で、きれい好きで抗菌剤が手放せないような、そして虫を気持ち悪がる大人へと変貌をとげるのだ。幼児たちのふるまいは、大人たちがどこからやってきたのか思い出させる。と同時に、少しおおげさに言えば、大人になることは、人間の宿命であることも感じさせてくれる。

ところで、二歳くらいの言葉もおぼつかない男の子が、自分で摘んだ黄色い花を見せに来てくれた。きれいな花を自分のものにする、というだけでは彼は満足できないのだ。年長さんたちは、鉄棒にぶらさがったり、逆上がりをしたりしながら、周囲の大人に、「見よって!見よって!見よって!」(この土地の方言で「見ていて」のこと)と口々に連呼する。彼らも、難しい遊びや技を体感するという以上の喜びを求めているのだろう。

まるで、ツバメの巣で、ヒナたちが親鳥に争ってエサを求めるような勢いで、人間の子どもたちは、大人からの承認や賞賛を求める。それは人として育つための必須の養分なのだろう。

長男が二歳の頃、リビングの丸いテーブルのふちにぐるりと、機関車トーマスの列車のおもちゃを並べるのが好きだったのを思い出す。彼は並べると、「みで(見て)、みで、みで」と、しつこいくらい親に要求した。「まんま(ご飯)」を別にすれば、それが彼からの最初期のメッセージとして印象に残っている。

 

 

 

芸は身を助ける

知り合いのやっているデイケア施設の6周年のお祭りで、何かやってくれと招待される。かつて霊場だった山のふもとの、ながめのいい斜面にある小さな施設だ。

施設に到着すると、すぐに紹介されるので、急いで赤い蝶ネクタイをつけて、出番となる。お年寄りや職員の人など、数十人がぐるりと取り囲んで、思ったより熱気がある。それに負けないように熱演する。

まずは、自己紹介を兼ねて、数年かけて浜辺でひろった珍しい漂着物を紹介する。一見きれいな巻貝に見える、タコのつくった殻。アオイガイとかカイダコと呼ばれるものだ。まるで宇宙人の頭骨みたいな、気味の悪い殻。ヒラタブンブクというウニの仲間だ。クイズ形式で、やり取りする。なかなか反応がいい。

次は、ヒラトモ様の由来を描いた手製の紙芝居。施設の「社長」の地元の神様だと話したので、興味をもってもらえたようだ。僕の住む住宅街の敬老会で披露したものを、3年ぶりに再演した。「最後は泣けるよ!」と、我ながら、アドリブの話術がさえる。村人から見捨てられたヒラトモ様が、月夜の晩にお供え物の木の根っこや里山の動物たちとけなげにお祭りをするのが、最後の場面だ。 

ラストは、手品でしめる。耳が突然大きくなる手品で驚かせたあと、数字あての手品。大きなトランプをひっくり返すたびに、数字が変わっていくもので、小学生の頃から人前で演じてきたものだ。ただし観客が取り囲んでいるので、裏面のタネを身体で隠しながら、「舞台」を駆け回って演じる。老舗手品メーカーの商品名は「残念でした」。

僕の出番のあとは、職員さんたちの音楽の演奏があって、大いに盛り上がってお開きとなった。心配していた出し物の評判の方は、まずまずだったようで、お世辞でまた来てほしいといってもらえた。巧拙はともかく、何かを伝えようという熱量が大切なのだと実感する。どのネタも、付け焼刃ではなくて、それなりに時間と手間をかけたものであるのが良かったかもしれない。

 

トンビに油揚げをさらわれる

こんどは、学校に行きにくい子どもたちに話す機会に、鳥の鳴き声について解説してみることにした。かりに人間関係に難しさを感じているなら、自然との友人関係は、どんなにか支えとなるだろう。

友だちになりたいなら、どうしたらいいかな。相手のことに関心をもって、よく知ることがたいせつだよね。

ごく短時間で、興味をもってもらうために、CDで聞く鳥の声は、さらに厳選する。まず、ハトとカラス。それぞれ身近な鳥だけれども、種類の違いがあることを知ってもらう。次に、ウグイスで、有名なさえずり以外にも、いろいろな鳴き声を出すことを説明する。

そして、トビ。海岸沿いの地元では、ふつうに見かける鳥だが、外見はびっくりするくらい立派なタカだし、ほとんど羽ばたかずに風に乗る飛び方にも特徴がある。鳥と人とのかかわりを知ってもらうために、トビ(トンビ)にまつわることわざを取り上げる。「トンビがタカを生む」「トンビに油揚げをさらわれる」

トンビがカラス追い払われる姿を見ると、しっかりしろと声をかけたくなるし、家族連れのお弁当をねらう姿を見かけることもある。

話が終わったあとに、海岸沿いを散歩していると、何かを空中に放り投げて、トビにエサをやっているおじさんに出会う。トビは、あの大きな身体ですばやくひるがえって、実に上手にその小さなエサをキャッチする。聞いてみると、ソーセージを小さくちぎったものだった。以前はパンを投げていたが、あまり捕らなくなったそうだ。ぜいたくになったんですね、と笑う。

 

 

お宝映像!

ゴミ出しから戻ってきた妻が、玄関で「お宝映像!お宝映像!」と声をあげる。出勤前で忙しかったけれど、笑顔に誘われて道に出ると、ゴミ捨て場の網に、タマムシがしがみついていた。光沢のある緑色の身体が美しい。自宅前で見かけることはめったにないから、たしかにお宝だ。

もう一匹は、駐車場に落ちているゴマダラカミキリ。妻も、いつも来るやつと説明するが、日中の住宅街にも飛んで来る虫で、子どもの頃からなじみがある。黒に白の斑点の宇宙服を着たようなスタイリッシュな外観はかっこいい。

妻は、裏口から駐車場を回って、ゴミ捨て場に行く間に、二匹を発見したのだろう。

ほめられた話ではないが、他の家と比べたら喧嘩が多くて、仲の良い夫婦とはとても言えない。原因は僕の偏屈だから、申し訳なく思っても、どうなるものでもない。それでも、いつの間にか僕の好きな鳥や虫に、妻が興味を示すようになって、話題にできるようになった。妻がもともと好きな昔話と、僕が新しく始めた聞き書きとが結びついて、いっしょに絵本を手作りするようにもなった。

その部分だけを見た人から、とても仲の良い理想の夫婦のように言われたりすると、二人で心底笑ってしまう。ただ、時間というものが、人と人の間のコリをほぐしたり、トゲを抜いたりしてくれる部分はあるのだと思う。

 

 

 

公民館青年室にて

ソレハネ チョットネ オモシロイネ/イトサンがせっかちに口をはさむ

シゴト ツカレタナー/旭通りの映画館で働いているモッチャンが/甲高い声で/飛び込んでくる

ソファーに長々と身体を投げ出したヨシムラサンが/退屈そうにあくびをする

僕はテーブルの片隅で/メンチカツをかじりながら/ノートを書く

それらすべてを/ふだんほとんど口を開かないオノサンが/柔和なまなざしで/ながめている

1982年9月 東京都国立市中区1丁目 中央公民館青年室

あのころの出来事は/記憶のもやの中に沈みかけているけれども/今になって/彼らの姿と言葉はくっきりと浮かびあがる

パパ ダメデショ ダッテ ナンナンナンナン ナンナンダカラ

ふいに耳元でひびく/得意げな息子の声が/それに重なって

 

※青年室というたまり場を出て、20年くらいたってから書いたもの。次男は、三歳になっても言葉が出てこなくて、小学校低学年の頃も、話す言葉の半分くらいは意味が取れなかった。その時からさらに十数年たち、次男も、イトサンたちと同じような働く青年になっている。

 

 

たまり場の記憶

たまり場「かっちぇて」が一時お休みするそうだ。けんちきさんとかおるこさんには、今年の一月にお話しをうかがって、先月には二人の不在時に「かっちぇて」のある坂段を訪問している。3年間開いてきた自宅でのたまり場を、さりげなく休止する。何かを終わらせ、何かをつなげて、何かを始める。自分たちの感覚と話し合いをなにより大切にする二人らしい。

僕も、大学時代、地元の公民館のたまり場に通っていた。青年室という部屋で、年齢が上の「障害」を持つ人を含む社会人の先輩たちと、成人式をきっかけに集まった地元の学生たちが主なメンバーで、大学の帰りなどに無意味に入り浸っていた。先輩たちが「障害を越えてともに自立する会」を作っていて、青年室の隣で、職業訓練と交流を目的としたカフェを始めていたから、自然とその活動に加わったりもしたが、立ち上げを知らなかったためか、さほど熱心でもなかった。ただ、常連の先輩たちとは仲良くなり、誕生日会に自宅に呼ばれたりもした。

今、次男が特別支援学校を卒業してから、勤務先と自宅とを往復するだけの生活になりがちだから、35年前のあの場所の意味が、あらためてわかるようになった。次男が仕事の帰りや休日に、地元の若者と友達づきあいできる場所が、果たして身近にあるだろうか。

公民館にあるおかげか、青年室とカフェは当時と変わらない姿で地元に残っていて、久しぶりに顔を出すと、当時とおなじように学生たちがそこにたまっている。35年前の経験者といえば、僕が学生の時代だったら、戦争中の人間がいきなり姿を現して来たようなものだ。僕は、自己紹介して、「青年室で無為にだらだらと過ごした時間が、あとになってとても貴重に思えます」と話すと、若い学生は、ちいさくうなづいてくれた。

いまは、たまり場や居場所というものが脚光を浴びるようになったけれど、「たまる」場所とは、本来、自分をもてあましたあげく、どうしようもなく引き寄せられるような、少しうしろめたい場所なのだと思う。だから、そこにいてただ座っているだけの人間が、はじかれることなく存在を認められるのだ。

そういう場所を体験することは、もしかしたら、その人の心の中のくらがりに、穏やかに他人と同居できる空間を開くことにつながるのかもしれない。

 

どんどんかわっていくよね、かわらんと困るから

JRの車両で、向かいに座った老夫婦が、車窓風景をながめながらつぶやいた言葉。

40年前、50年前の思い出話をしながら、このあたりは田んぼだったのに、住宅街になってしまった、という。それを嘆くという風ではなくて、「変わらんと困る」と言い添えたのが耳にとまった。

僕自身がそうだが、今は、過度の自然の開発やそれによる経済成長に抵抗を感じる人々が増えてきているだろう。自然破壊にはとりあえず眉をひそめる方が、無難な時代なのかもしれない。

しかし老夫婦は、開発やそれによる便利さの恩恵を、目に見えて享受してきた世代なのだと思う。彼ら以降の世代といっても、その恩恵の上に生活していることには変わらない。エコを信条としているつもりでも、高速での大量輸送手段に疑問なく同乗しているわけだ。

夫婦の屈託のない会話に耳に入れながら、この時代の核心ともいえる感覚に、ふと思い当った。

 

親戚の消滅

葬儀のあと、親戚と久しぶりに顔をあわす。僕たちの親の世代(80代以上)が姿を消して、いとこたち(50代以上)が中心になり、その子どもたち(20代以上)がいくらか加わる。

父親は4人兄弟、母親は6人兄弟。当時としては、けっして多くはないだろうが、計10人の結びつきが、親戚の広がりをつくっている。

いとこ世代の兄弟数は、ほぼ2〜3人か。いとこの子どもとなると、ほぼ0〜2人に収まる。彼らのうわさを聞くと、独身が多数派だから、子どもの数はさらに激減するだろう。

僕にとっては、ざっと数えて16人の叔父叔母夫婦と16人のいとこ(とその配偶者)の一団が親戚のイメージを形作る。しかし、僕の子どもには、叔父叔母は3人、いとこは2人いるだけだ。だから、親世代が、かろうじて子どもたちに見せることのできる血縁のネットワークは、代替わりとともに、一瞬で消え去るだろう。

しかし、それを心配するのは、旧世代の感性なのかもしれない。彼らは、はるかに広範囲な情報ネットワークの中に、住んでいるのだから。

 

 

 

光明遍照十方世界

僕は理屈としては、仏教では浄土真宗曹洞宗に親近感を持っている。現実の巨大教団のあり方には問題があるのだろうが、それらの宗派の思想は精神性が高く、教えとしてシンプルで、虚飾がないという印象があるからだ。

葬式仏教は、考え方によっては、本来の仏教に後付けされた不純な夾雑物ということになるのかもしれない。しかし、この社会にどっぷり浸って生きていると、やはりお葬式に仏教はしっくりくる。

今日の葬儀は天台宗の「導師」にお願いすることになった。宗派名を聞いたときは、少しがっかりしたのだが、実際のところとてもよかった。念仏系の葬儀に参列することが多いのだが、あらためて密教の良さに気づいた。

導師は、不思議な手の動きや見慣れぬ道具で、秘術を使っているかのようだ。小声で呪文を唱えたかと思うと、朗々と読経する。棺に、仏の描かれたカードをまく。まったく非日常的な所作だ。

人が亡くなる。そのとうてい理解できない出来事に向けて、想像を絶する深淵に向けて、故人を知る人たちが心をそろえて祈る。仏教も導師も、その不可能を可能にするためのスプリングボードだ。だからそれは、できるだけ日常の意味から離れた、不可解で形式的な媒介であるべきなのだ。言葉は悪いが、俗臭の強い念仏の合唱や訳知りな住職の講話では、もはや現代人には、外の世界への媒介となりえない。

導師が若く清潔感があり、とらえどころない風ぼうで、言葉少ななのも、あくまで媒介者に徹しているようでよかった。

「光明遍照十方世界」(こうみょうへんじょうじっぽうせかい)

導師の読経から、この言葉を聞き取ることができた。光はあまねく全てを照らす、われわれの世界も、死者の世界もともに。

 

 

俺だって社長なんだよ

駅前の南口と北口を結ぶ、広い通路で、自転車にまたがった中年の男が、初老の警備員に食ってかかっている。どうやら、自転車の運転を制止されたのが、気に入らないらしい。気が小さいくせに、おっちょこちょいで正義の味方を気取りたがる僕は、二人の間に、胸をそらして立ちはだかる。どうしました?   

警備員の説明に、わざとらしく強めの声で、ここは自転車が運転禁止なんですね、と納得のふりをする。軽装の男性は、まだ不服そうだったが、タイトルのセリフを吐いて、立ち去っていった。

おそらく警備員は安全を確認した上でだろうが、運転中、いきなり腕をつかまれたことが、「社長」には子ども扱いされたようで腹に据えかねたのだろう。

はた目にはこっけいなようだが、何かのプライドを支えにして生きているのは、誰もが同じことだ。そして、他者の微妙な所作の違いで、天に昇るような気持ちになったり、地べたに突き落とされたりもする。やっかいだが、これはこれでわかりやすい。

安全地帯から人にあれこれおせっかいを出して、いい気になる人間の方が、むしろタチが悪いのかもしれない。