大井川通信

大井川あたりの事ども

目羅博士vs.いたち婆

目羅博士の試練はつづき、蜘蛛女との対決の次は、「いたち婆」というあだ名の奇怪な老婆が相手となる。いたち婆が登場するのは、エルクマン・シャトリアンの短編『見えない眼』(1857)である。

前回の対決作品エーヴェルス『蜘蛛』(1908)よりさらに半世紀も前の作品だが、『蜘蛛』で指摘した『目羅博士』(1931)との相違点が、今回はことごとく似ている。何より、相手と同じ衣裳を着せた人形を使っての対決という物語の最大の山場がまったくそっくりなのだ。

江戸川乱歩が小説のネタとして当時すでに翻訳もあった『見えない眼』ではなく『蜘蛛』を挙げたのは勘違いによるものと好意的に解釈する人もいるようだが、これだけ似ていると、むしろ意図して避けたとしか思えない。

19世紀のヨーロッパの田舎町での事件を、20世紀日本の都会の出来事にして描きなおした翻案作品といってもいいくらいだ。目羅博士、万事休すかと思うが、どうやらそうでもないようだ。小説の出来はあきらかに目羅博士の方が優れている。

人が模倣の欲望によって操られるのは、偶然相似形を作り出すような近代都市の無機的な街並みこそがふさわしい。田舎町で誰もが知る奇人の老婆が行う知的な犯罪は不可解だが、都会の片隅の眼科医の犯行なら説得力がある。何より語り手自体の存在を、月光の魔力によって宙に浮かせてしまう手法が鮮やかだ。

とはいえ、目羅博士がいたち婆の生まれ変わりなのは明らかだから、同一人物のため対決とはならず勝負なしとしよう。