大井川通信

大井川あたりの事ども

無能の人

柄にもなく、一流の人について書いてしまったので、つげ義春(1937-)の『無能の人』を読み返す。

この連作に出会ったのは、小倉にあった金栄堂という小さな書店で、雑誌「comicばく」を立ち読みした時だった。「カメラを売る」を読んで、ラストの場面に打ちのめされたのをはっきりと覚えている。1986年の雑誌掲載だから、入社3年目で仕事もうまく回らなくなり、地方都市の歓楽街に入り浸っていた頃だ。無能の人の生き方が心に染みたのだと思う。

無能の人は一流の人とは違い、まともな仕事に打ち込むことができない。そのくせ思いつきで熱しやすいから、いろいろなものに手を出そうとする。漫画家、カメラ屋、古道具屋、石屋、渡し守、虚無僧。貧乏暮らしのために、金もうけのことが頭からはなれないが、気が小さく、何事もうまくいかない。しかしそんな自分を、やむを得ず、半ば以上肯定している。

六話ともすべていいが、やはり「カメラを売る」には心を打たれる。主人公は、毎月一度の天神様のお祭りの縁日で、店を出す末端の古物商仲間に出会い、彼らの世話になって商売に手を出したことを回想する。無能の人は、生きるために多くの無名の人の善意やつながりに助けられてきたのだ。彼は、その一人一人に、口には出さずに「お世話になりました」と胸の内で言葉をかける。そうして、手をあわせ、深く祈る。ラストは、小さい息子の手を握って、茫漠とした鳥居の外に去っていく後ろ姿だ。

無能の人は、一流の人よりも、この世であきらめることの意味については、より良く知ることができるかもしれない。誰に感謝して、何に祈るべきかということも。