大井川通信

大井川あたりの事ども

平成天皇の顔

僕の父親は戦中派で、戦争で苦労した人間だから、天皇天皇制と神道とを忌み嫌っていた。天皇がテレビに映るとチャンネルを変えていたし、実家では初詣の習慣すらなかった。僕はそんな空気の中で育ったし、大学に入ってからも、学問の世界や論壇では、まだマルクス主義と左翼の力が強く、天皇制に批判的であるのはむしろ常識といってよかった。

評論を読み始めた頃好きだった菅孝行(1939-)は反天皇制の先鋭な論客だったので、その手の集会にも顔を出した。ただ粉川哲夫(1941-)が、天皇個人を嘲笑することで終わったらそれは体制内部での偽りの批判である、と釘を刺したのは印象に残った。また関広野(1944-)は、天皇制批判はもはや中心的な課題ではない、と公言した。

以上は、80年代前半の風景。冷戦崩壊後の90年代に入ると、人々に感情的な対立を招く不毛な議論よりも考えるべき重要なことは他にある、という大前研一(1943-)のリアリズムが耳に残る。近年は、批判的論客からも天皇制を肯定する議論を聞くようになったが、とくに関心をもつこともなかった。

こんなふうに反感を根にもちつつも、判断を保留し、消極的に現状を受け入れてきた人間にとって、現天皇のたたずまいは、どこか理解しがたいものに思える。しかし最近、新聞で渡辺京二(1930-)の文章を読んで、納得するところがあった。渡辺京二は、天皇制には批判的な論客である。

「私は老境に入ってからの現天皇の顔貌を、尋常ならざるものと感じる。あの柔和、慈悲の相、さらには枯寂(こじゃく)淡々たる口調は、この人の即位以来の修養の賜物であろう」

自らの存在を無にして多数の他者のために祈り続けるという姿勢に徹するときに、あのような表情と立ち居振る舞いが生まれるのだろう。それは、一人の人間のあり方を、法によって選択の余地なく決定したことの結果ではあるが、それを受け入れた人間の覚悟を低く見積もることはできないと思う。

たまたまのことであるが、僕が毎日勤務しているのは、現天皇ゆかりの部屋である。皇太子時代の訪問時に、休憩用の控室として使われた場所らしい。

30年続いた平成も明日で終わる。