大井川通信

大井川あたりの事ども

天皇について少し

三島を読んで、天皇についていくつか思い出したことがあるので、それを少し。

30年くらい前だと思うが、ドゥルーズガタリの『アンチ・オイディプス』を翻訳した市倉宏祐(1921-2012)の講演を聞く機会があった。最新流行の思想の話が聞けると思っていたのだが、戦時中の話となった。なぜ天皇に反対の声をあげられなかったのかという質問者に対して、瀆神(とくしん=神を汚すこと)という言葉を紹介して、それがまったく不可能だったと断言したことに違和感があった。

80年代に好きだった評論家の管孝行は、天皇制を日本の体制の最重要の原理として何冊もの本を書き、天皇の代替わりをXデーとして呼んで、権力が支配が一気に強化するタイミングとして警戒を強めていた。一方、評論家の関広野は、天皇制を主要敵とするのは時代錯誤として批判した。どちらが正しかったのは、その後の歴史によって明らかだ。

那覇潤の『平成史』を読書会で読んだが、どうもピンとこなかった。いったいこの30年間で何がどう変わったのかをとらえそこなっているように感じだからだ。一番大きく変わったのは天皇というものの存在だ。天皇(制)は「平成」という時代を区切る物差しだろう。元号を扱いながら、その物差しの激しい変化に触れないのは不可解だ。

昭和の終わりは、まだ天皇は恐ろしい存在だった。これは「瀆神」の感覚をもった戦中派たちが60歳前後でかろうじて現役と言える時代だったことにもよるだろう。右翼にとって守るべき最大の存在であり、左翼にとって打倒すべき最大の敵だった。つまり、神であり、かつ悪魔でもある存在だったのだ。「天皇崩御」の知らせは、当時20代後半だった僕にも、世界の一部が壊れるような大事件で、街ゆく人に目配せして思いを共有したい誘惑にとらわれた記憶がある。

一方、平成の終わりは、天皇の決意をきっかけに決定された上、たんたんと事務的に進められて、50代後半の僕にも何の感慨ももたらさなかった。まして、もっと若い人においておや。すでに戦中派の多くは鬼籍に入っていて、影響力を失っている。

さらに令和になると同時に、皇族の婚姻問題をきっかけにして、日ごろは保守的なネット上で、皇族や天皇性を露骨に批判するコメントがあふれた。税金の無駄だから皇族はいらないという意見が、なんの政治的意図なしにつぶやかれるようになったのだ。次の皇位継承者は、ネットで見る限り、炎上中の芸能人並みの低い扱いである。