大井川通信

大井川あたりの事ども

図書館で本と出会う

『市民の図書館』の中に、こんな記述があった。誰もが、図書館の書棚で無名の著者の書物に出会い、その面白さに驚いたことがあるだろうと。

たしかに図書館では新刊書中心の書店には置かれていない本があって、しかも無料で気軽に借りることができるから、読書家ならそんな出会いが多くありそうだ。僕も学生時代までは身近な市民図書館を良く使っていたけれども、今はっきりと覚えているのは、何冊かとの出会いのことだけだ。

岡庭昇の文芸評論『萩原朔太郎』のことは、何度か書いた。この本に出会っていなかったら、評論や哲学思想の世界にのめりこむことはなかったかもしれない。小説を中心に読む、もっと普通の本好きになっていたかもしれない。すぐに早稲田の古本屋で手に入れて、講演で著者からサインをもらった本が今でも手元にある。

大岡實博士の『日本の建築』も図書館で出会った。古建築の造形の精神の襞に迫るような、類書がない名著だ。この本を読んでいなければ、僕が長く古建築鑑賞を趣味とすることはなかっただろう。当時国立駅前の東西書店で、この本を見つけて手に入れている。

写真の多い『古建築のみかた』(伊東延男)も図書館で愛用していたが、その後書店で見かけることはなかった。数年前、帰省中に駅前の古書店が偶然見つけたときはうれしかった。

こうして思い出すと、気に入った本は自分のものにしないと気のすまない現物主義者であることがわかる。それもあって、大人になってからは、図書館の利用の頻度は減ってしまったのかもしれない。

ふと思い出すと、僕の父親が図書館をまったく利用していなかったことを思い出す。なるほど図書館が気軽に大量の本を借りられるようになったのは、僕の子ども時代の出来事なのだ。いくら本好きでも戦中派の父親の発想には、図書館は入っていなかったのだろう。とにかく古本屋を回るのが好きな父親だった。