大井川通信

大井川あたりの事ども

ネタ作り

漫才師でもお笑いタレントでもないけれど、僕は、いつもネタ作りに励んでいる。ネタといっても、面白い話のネタ、といったほどのものだ。意図してやっているというより、無意識のうちに、結果的にそうしてしまっているのだ。

こんなふうに毎日ブログを書いているのも、新しい話のネタを探して、そのネタ帳を作っているという側面が強い気がする。もちろん、大方は失敗作だが、ゆくゆくはブレイクする可能性の断片をはらんでいる文章もあるかもしれない。

面白さの基準は、もちろん僕自身の中にあるけれども、やっぱり聞き手に喜んでもらえたほうがいい。だから、いいネタを作るためには、できるだけ多く人に話してみるほかない。一番最近僕が面白いと思ったネタは、ゲンゴロウは何故絶滅しかけているのか、というもので数日前のブログに書いたものだ。

実はすでにこのネタは、知人の前で二回も「板にかけて」いる。ところが、話の途中で、相手の目がどんどん死んでいくのがわかった。たしかにちょっと長い。しかし、日本の本来の自然が現在そう思われているみたいな穏やかな田園風景ではなく、荒れる川と周辺の湿地帯であったという結論は、だからそこを住処としたゲンゴロウにはもう帰る場所がない、という答えとともに、かなり意外で刺激的なはずだ。

はずだ、といくら言っても、相手の目が死んでいくのを止めることはできない。ようは、みんなゲンゴロウという虫をよく知らないのだ。絶滅しかかっているのだから、無理もない。その知らないモノの話は、どんなに熱弁しようとも、退屈なのだ。

二回のネタ見せで、僕はこの真実に気づく。実は、今日、公の場で、子どもたち相手に短い話をする機会があって、このネタ見せでの失敗がなかったら、得意げにゲンゴロウの話をして、子どもたちの眠気をさそっていたかもしれない。

しかし、この失敗の経験によって、話題を変更することができた。クマゼミは卵で1年、地中の幼虫で7年過ごしたあと、成虫になること。だから、今年鳴いている成虫は、2011年東日本大震災の年の夏に鳴いていたセミの子どもであること。セミがゆっくり成虫となるのはなぜなのか。少なくともそのことで、木の根から過剰に養分を奪うことなく、木を枯らすことはない。誰もが知るクマゼミの話題は、子どもたちの心を引きつけることができたと思う。

では、ゲンゴロウのネタはお払い箱になったのか。別の機会に、本論を思い切って省略して、聞き手の目が死んでしまったことをオチにして、さっそく笑いをとってしまった。今回の記事も、それと同じバージョンだ。転んでもただでは起きない、のがネタ作りの鉄則です。