大井川通信

大井川あたりの事ども

原っぱのゲンゴロウ

豊田正子の『粘土のお面』には、こんな場面がある。描かれているのは昭和初期、正子が小学校4年生ぐらいの時だろう。

夏休みに入って、約束通り先生の家に泊まりにいきたい正子だが、親はなかなか許してくれない。先生への遠慮もあるだろうし、家事手伝いの仕事もあるからだろう。

弟たちの子守を頼まれた正子は、下の弟の光男を背負い、上の弟の稔を連れて、近所の原っぱに行ってみる。ちなみに、このなんでもない空き地を「原っぱ」と呼ぶ用法が、僕にはとてもなつかしい。僕の実家の隣にも原っぱがあった。閑話休題

「原っぱの隅の鉄工場のゴミ捨場になっている、池の端に行った。知らない男の子が二、三人、白い服を着て、葦の中をむさむさ歩き廻っていた。池の水はどろりと茶色く濁って、表面の油がギラギラ光っていた。時々親指位もあるげんごろうが、ふらふらと尻を振って、濁った水の中を泳いで行く。癪にさわっていたので、グチャグチャと、草むらを歩き廻った。そして稔に小さな赤蛙を三匹取ってやった」

鉄工場のゴミ捨て場になっており、廃油もたまっているかなり汚い池だ。しかし水辺には葦(アシ)が生えているようだから、水生昆虫が生息できる環境にはあったのだろう。子どもの親指ぐらいある大型のゲンゴロウが、かつては下町のこんな町中でもみつけられたのだ。ゲンゴロウ好きの僕がくいついたのは、この点だ。

ところが不意に何かの違和感に襲われる。綴り方の達人豊田正子は、描く対象の特徴を見事な言葉の選択で描きだす。泳ぎの名人ゲンゴロウはすいすいと水を切って進み、尻を振ったりしない。ふらふらを尻を振るのは、泳ぎの下手なガムシだ。ガムシはゲンゴロウとよく似た甲虫だし、僕が観察している範囲でも、ゲンゴロウよりも汚れた環境で生活できる印象がある。当時の庶民は、どちらの虫もゲンゴロウとひとくくりに呼んでいたのかもしれない。

というわけで、本記事のタイトルは、正しくは「原っぱのガムシ」と修正する必要があるだろう。豊田正子の観察眼恐るべしだ。