大井川通信

大井川あたりの事ども

新編『綴方教室』 豊田正子著 山住正己編 1995

『月明学校』と『山びこ学校』からの流れで、戦前の綴り方作品の傑作である豊田正子(1922-2010)の本を読む。『綴方教室』(1937)、『続綴方教室』(1939)、『粘土のお面』(1941)の三冊から抄録した岩波文庫版である。『山びこ学校』と同じく1995年の出版だから戦後50年を意識した企画だったのかもしれない。編者の教育学者山住正己は僕の中学時代の親友の伯父だったという因縁もある。

豊田正子とその『粘土のお面』は、僕にとって、とりわけ両親の思い出と重なって忘れがたい作品である。豊田正子の綴り方に描かれた昭和初期の貧しい一家の日常は、同世代の両親にとっては懐かしいものだったのだろう。父からそのいくつかを読んで聞かせてもらったことがあるし、母も愛読していた記憶がある。

親方から独立して小さな店を構えたときの父親の喜び。年末に母親のいいつけで借金にいかされる顛末。せっかくのお店から夜逃げする一家の様子。それらが子どもの筆で、簡潔に活き活きと描き出されていた。

おそらく僕の父は、ブリキ職人の娘だった豊田正子よりもいくらか豊かな家庭に育ったはずだが、綴り方に活写された下町の風物と東京弁は親しいものだっただろう。母は東京ではなく千葉の東金育ちだが、畳屋の娘だから生活ぶりには親近感があったかもしれない。なにより作者と名前が同じだった。

ネットの情報には出てこないが、豊田正子は僕が子どもの頃、実家のある国立に住んでいたはずである。両親のどちらとだったか記憶にないが、一度訪ねたことがあって、玄関先にたつ作者の姿をぼんやりと覚えている。何の用件だったのだろうか。おそらく著書を直接作者から購入するためとかだったような気がする。

今回初めて文庫を通読して、『続綴方教室』の「口答え」が他の作品とトーンが違うのが気になった。家族ともめごとをおこし、夜じゅう街を徘徊する作者の姿には何とも救いがない。貧しい暮らしの悲哀を明るく描く彼女の生活の実際は、むしろこちらに近かったのかもしれない。

豊田正子を指導した教師は、学校卒業後に工場勤めの合間に書いた『粘土のお面』の印税すらまったく彼女に渡さなかったそうだ。彼女の暮らしの貧窮を嘆くそぶりを見せながら、ずいぶんな対応だったと思う。

一方、敗戦後の綴り方文集『山びこ学校』も同じようにベストセラーになり映画化もされたが、印税はプールして、学級の仲間が低利で借りられる基金としたという。無着成恭自身もこの基金からお金を借りて家を建てている。戦後民主主義の初発の力を感じさせてくれるさわやかなエピソードだ。