大井川通信

大井川あたりの事ども

ドキュメントを読む

今月の吉田さんとの読書会では、年末年始に読んだ4本のドキュメントの感想記事をもとにレジュメを作った。4本とも犯罪をめぐるドキュメントになってしまったのは僕の趣向のせいだが、教育現場を扱った『月明学校』や『山びこ学校』もドキュメントだし、『遠い「山びこ」』は戦後をめぐる壮大なドキュメントになっている。これからは、もう少し幅広くドキュメントをあさってみたい。

『宿命』〇では、70歳を過ぎてからも銃器による犯罪を繰り返す中村泰の人物像が、「戦中派」という荒ぶる時代に自己形成を遂げた世代の宿命を象徴しているように思えた。

『裁かれた命』◎では、粗暴で幼稚、内向的だった青年が、手ごたえのある他者に向けて「書く」ことを通じて、自己了解と他者理解を深めていくプロセスに感銘を受けた。それを受け止めるかつての度量の大きな大人たちの姿も魅力的だ。

『消された一家』〇は、生物として壊れ物である人間の愚かさを徹底的に見せつけてくれる。どのような美辞麗句もこの一家の犯罪の前では霞んでしまうだろう。ここでは「虚言を吐く」ことの恐ろしさが暴かれる。

三億円事件』✕では、組織に立ち向かう個人の技法について考えさせられた。どうやった犯人は警察と銀行という巨大組織の裏をかいたのか。そこには組織の内部に潜入可能なルートが必要だ。一方、この本は組織による執筆の弱点もさらけ出している。

書名のあとの記号は、僕の評定だ。しかし、その評定に関わらず、考える材料はどの本にも豊富にあった。

ドキュメントは現実に肉薄する。それゆえ、著者が必ずしも重視しない大量の細部を救い上げることになる。そこに僕が自分自身の現実の細部から得たものと類似の問題を発見できるのは当然のことかもしれない。