大井川通信

大井川あたりの事ども

オオスカシバ

数日前、自宅の駐車場で、オオスカシバの姿を見た。すぐに隣家の庭に消えてしまったが、透明な羽に黄色の太い胴体が目に残った。高速で羽ばたいてホバリング(空中停止)もできるから、蜂のようにみえるがスズメ蛾の仲間だ。

実家の庭には、クチナシの垣根があったから、その花が好物のオオスカシバは毎年夏に現れた。小学校の夏休みの宿題で、オオスカシバの観察記録を作ったこともあったけ。あの頃のクチナシの強い香りが甦る。

こちらに転居してからは、よく似た外観だが一回り小さなスキバホウジャクを見かけたことはあるが、オオスカシバはめったに出会わない。我が家の枯れた庭木のあとにクチナシを植えようかと思いつく。

オニヤンマ

七月になってから猛暑が続き、早朝でないととても散歩などできなくなった。朝6時過ぎに家を出て、クロスミ様の鎮座する里山をこえて、モチヤマの集落に入る。

小川沿いの田舎道で、いきなり大柄な誰かに出くわしたと思ったら、オニヤンマだった。

八木重吉に、みしみしとあっちに行く「大山トンボ」に思わずついていくという詩があったが、大股で歩く人みたいに、ぐいぐい力強く飛ぶオニヤンマの様子をよくとらえている。

彼はすれ違った後、巡回するように悠然と引き返してきた。

新米建築士の教科書 飯塚豊 2017

 著者は、「建築士になるための勉強」の機会はあっても、「一人前の建築士として食っていくための勉強」については、テキストもなく学ぶ方法もなかったという。大学では実務に役立つことは教えないし、会社では実務の中で長い時間をかけて身に着けることが要求される。

著者が経験から得た設計術を凝縮し、面倒見のいい設計事務所の所長から日々指導されそうな内容をすべて盛り込んで本書をまとめたのは、そんな欠落を埋めるためだという。(そうした欠落は、多くの専門的な職業に共通ではないか)

不思議なことに、専門書は退屈でも、実際に現場で必要な実践知を解き明かした本は、門外漢の素人にも面白かったりする。ランダムにあげてみたい。

設計に必要とされる「センス」は、実際は過去事例の知識でカバーできるという指摘は、他の分野にも通じそうだ。

「30秒スケッチ」でアイデアを形にしたり、事例を記憶したりするというのは想像がつくが、自宅を含めあらゆる場所で計測する習慣をつけて寸法感覚を身につけよ、というのは、なるほど建築の専門家だと感心した。

小さいところでは、広々した空間の方向を「抜け」と表現すること。

外観からでなく間取りから考えると、魅力的なデザインは生み出せないこと。

魅力的な建築には、内外を関係づける仕組みとして「中間領域」が備わっていること等々。

著者は想定していないようだが、施主の方でも読みたい本ではないのか。自分も20年前家を持つ時に、こういう実務の基礎知識があれば相当役立ったと思うので。

 

授業がうまい教師のすごいコミュニケーション術 菊池省三 2012

菊池メソッドで有名な著者の本を初めて読んだときは、驚いた。子どもをほめればやる気を出して学力も上がる、というくらいの話だと早合点していたからだ。実際はそんな生やさしいことではなかった。

彼は荒れた学級で、子どもを一人ずつ教室の前に立たせ、級友全員からの「ほめ言葉のシャワー」を浴びさせる。賞賛のドーピングというべき異例の方法を使って、クラスの仲間(共同性)から離れた子どもの心をつなぎとめ、共同性の再建を果たそうとするのだ。子どもたちは、心からの喜びや満足は、仲間とつながることでしか得られないことに気づきはじめる。

著者は、厳しい現場での実践をとおして、人間の共同存在の根っこに「承認」があり、それが「言葉」で行われるという認識に至ったのだと思う。

本書では、そこから導かれた実践の技術が詳細に解説されているが、実際の章立てとは別に、大きく三つのグループに分けることができるだろう。

一つは、通常の一対一の場面で使われるコミュニケーションの基礎技術である。

もう一つは、学校の教室という一対多の場面でコミュニケーションを成立させるための応用技術である。80年代以降の「学級づくり」の課題に対応するものだ。

さらに、現代の教育現場で要請される、子どもが自ら学ぶ力を育てるようなコミュニケーションの専門技術である。

この三層のコミュニケーションを統率するのは主体的な教師であり、自立した責任ある個人を育てることを目標とする点で、ノリ重視の昨今のMC型教師とは一線を画している。

 

コジュケイ

大井川周辺でも、里山から、チョットコイ、チョットコイ、という大きな声を聞くことがある。

新しい職場は、広い松林に囲まれているから、いつも賑やかなガビチョウに混じって、ひときわ大きなコジュケイの声を耳にするのだが、ヤブから出ないコジュケイがどんな鳥なのか、実際に見ることはなかった。

七月の初め、草原沿いの舗装道路に、不意にハトほどの黒っぽい鳥が現れて、腰高な姿でバタバタと足早に横切った。遠目にも首元の赤が目に残る。初めてのコジュケイの姿に満足して、帰宅の車を走らせた。

大井川のオスプレイ(ミサゴ)

トビをふつうに見かける川沿いで、それとは違う白い鷹を見つけたのは、だいぶ以前のことだ。鷹は、河口近くの川面に獲物を見つけると、姿勢をかえて急降下し、波しぶきを立てて魚をつかみとっていた。大きめのコートをはおったようなトビよりもスマートで、羽ばたきも力強い。ミサゴだ。

川の上流には二つのダムがあって、そこまでが巡回の経路のようだった。途中川幅わずか数メートルの大井川に飛び込む姿を見かけたことがある。ダムでの狩りの帰り、大井の上空で、魚を奪おうとするカラスにからまれていることもあった。

川沿いのサイクリングロードで、上空を飛ぶミサゴを間近く見た時には、左右に首を振りながら、水面を射抜くように見下ろす眼光の鋭さに驚かされた。

先日、はるか沖合いの海上を飛行しながら、時に荒波にダイブするミサゴの姿を見たが、さらに60キロ沖の孤島の世界遺産登録騒ぎも、ミサゴの英語名にちなんだ軍用機の配備騒ぎも彼には無縁のようだった。

ミサゴが住むこの小さな川の流域でも、住宅や太陽光発電施設の開発が進み、心なしか水が濁ったような気もする。彼の優美な姿がいつまでも見られることを願わずにはいられない。

 

 

 

必ずクラスを立て直す教師の回復術! 野中信行 2012 

1971年に教員生活をスタートさせた筆者は、70年代(まで)と、それ以降の現代の教師の仕事とがまるで違ったものになっていることを、冒頭、簡単な図で明示する。以前は、授業と行事に力をそそげばよかったのだが、現代は土台としての学級づくりが過半の仕事となっているのだ。

一見手軽なハウツー本に見えながら、本書が学校教育に対する本質的な提案になっているのは、この歴史哲学的というべき大づかみな認識のおかげだろう。また、筆者がこの手の本の作り手には珍しく、自分の生活を大切にして、残業を好まない教師であったことも、現代的な課題をとらえることに役立っている。

学校の現代的な課題とは何か。一つには学級の荒れや崩壊であり、もう一つは、その中での学力向上、しかも新しいタイプの学力の育成である。さらにそのための教員の育成が課題となるが、その阻害要因として教師の多忙化があげられる。

筆者は、第1の課題について、「空気と時間の統率」という視点から、「指示の徹底」「原因追及からの視点転換」「目標達成法」「スピード化」「学級システムの確立」等の具体的な提案をする。

第2の課題については、「味噌汁・ご飯授業」を提起し、その中身を「おしゃべり授業」ではなく、「子どもたちの活動を組み合わせる授業」として描き出す。また「見る、聞く、読む、覚える」というインプットの活動に対しても、「書く、話す、話し合う、動く」というアウトプットの活動を意識した展開が有効であるとされる。そして日々の授業は、基礎基本の確認と、活動の組み合わせとの「分割型」となる。

アクティブラーニング等の流行りの言葉を使わずに、しかも実際の現場でも可能な短時間の準備で、日常的に実現可能なものとして提案されていることが興味深い。

最後に第3の課題に対して、筆者が37年の教師生活で編み出した様々な仕事上の時間管理術が提案される。こうして生み出される心の余裕なしには、第1の課題にも、第2の課題にも生身の教師が対応できないという発想である。とくに、第2の課題について、教師の多忙化への配慮を伴った提案はとても貴重だと思う。

 

「イエスの方舟」論 芹沢俊介 1985

報道された情報だけを使って、自らの解釈と思弁を強引に進めていく手法は読みにくいが、かつての批評のスタイルなのだろう。ただ前半で、家族(対幻想)の解体と変容という物差しを振りかざして、「既成の価値体系」にしばられた親を貶め、イエスの方舟の新しさを持ち上げるのは、少し乱暴ではないか。

事件から40年近くたった今も、親は汗だくで子どもを育て、子どもはそんな親に平気で愛想をつかすという風景は一向に変わらない。

後半では、連合赤軍統一教会と比較することで、イエスの方舟の集団のあり方を浮き彫りにする。方舟は人間のエゴや肉体を否定せず、おっちゃんと呼ばれ集団に対して受け身の千石剛賢によって分散的、中心解体的な共同性が成り立っていたという。

目を開かされたのは、方舟がもともと流浪の体質を持っていたという指摘である。関西から10名のメンバーで1961年に上京してから16年で6回多摩地区内を移動し、国分寺日吉町の教会を退去した後2年間の26名による逃亡劇が「事件」としてクローズアップされたのだ。

今回、千石剛賢が、僕の父親と同じ学年(1923年生まれ)の戦中派であることに気づいた。敗戦近くに徴兵され、戦後焼け野原でさまざまな職業を経験し、キリスト教にひかれた経験を持つことも共通である。流浪の集団による信仰生活も、彼が強いられた「非日常」への彼なりの筋の通し方だったような気がする。それがたまたま、高度成長以後の郊外の平和な日常の破れ目をつくろう羽目となったのだろう。

僕の実家は、日吉町の教会から歩いて15分ばかりの所にあって、当時会員が包丁研ぎの商売で回ってきたという話を聞いた記憶がある。逃亡劇の発端は、僕より少し年長の多摩地区の若い女性たちの参加だった。以前、方舟が経営する中州の『シオンの娘』が知人の行きつけだったために、何度か付き合ったことがある。歌や踊りのショーを見ながら、彼女らの一人と実家周辺の話で盛り上がり、東京でもここまで近い人は初めてだ、と言われたことを思い出す。

今年に入ってからテレビカメラが初めて古賀市の方舟の教会に入り、店で見かけた彼女たちが、想像よりはるかに折り目正しい聖書中心の生活を続けていることに驚いた。かつての防人みたいに東国から、偶然同じ玄界灘に行き着いた「同伴者」として、自分は何に祈り続けようか。

現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史 2017

イースト新書刊。本書の中で、月間150冊出版される新書が雑誌の代わりになったのが、論壇劣化の元凶のように言われているが、まさにそれを地で行くような内容だった。

ロスジェネ世代でもある社会学北田暁大が、若者論の批判的研究をしている後藤和智と、経済に詳しい栗原裕一郎に声をかけて、自らのモチーフを展開した鼎談だ。

繰り返される主張は、ロストジェネレーション世代(≒70年代生まれ)が、左翼論壇で忘却されていることへの批判だ。ロスジェネ世代は、「就職氷河期」で経済的に冷や飯を喰わされ、上の世代からの若者バッシングの餌食にされたうえに、現在は、より経済的に恵まれた後続世代(90年代生まれ)に注目と共感が集まる中で、内田樹あたりからは「最弱世代」と罵られている・・・

しかし、左翼、リベラル論壇に対する批判というものが、経済(成長)がわかっていない、数字やデータの裏付けがない、という二点に尽きるというのでは、興ざめする。名前が挙がるのは、業界での「有名人」かもしれないが、彼らが束になっても実際には社会的影響力のカケラもないような人たちだろう。小さなコップのなかで、自分たちの優越を言い立てている感は否めない。

北田暁大にはかつて、ナンシー関を批評家として最大限にリスペクトする仕事で目を開かされたことがある。70年代以降の精神史をていねいにひもとくその著書の後書きには、この程度ではとても30年史は名乗れない、と書かれていたのだが。

 

 

 

 

 

南無阿弥陀仏 柳宗悦 1955

柳は、平易な新しい言葉で仏教を説くことの必要をとく。そして、念仏とは何か、阿弥陀仏とは何か、浄土とは何か、について現代人にも通じる本質的な説明を試みるのだ。

「少なくとも幾千万の霊(たましい)が、この六字で安らかにされたという事実を棄てることは出来ぬ・・・たとえ昔のような形で称名が興らずとも、何らかの形でそれが甦ってよい。」

こういう捨て身の姿勢が、浄土門の思想の精髄をすくい取って、火のような言葉で語りつくす。法然親鸞、一遍のトライアングルがなしえた達成は、簡明にして本質的だ。

柳の本は、宗教について、人間の生の根源について、考えることを強く誘う。しかし、既成教団の宗教者たちは、柳の危機感を十分に受け継いできたのだろうか。