大井川通信

大井川あたりの事ども

神々

フリースペースとしての神々

近隣にある集落が、里山の山上にクロスミ様という神様をまつっている。集落の人口が減りだしたときに、住民たちがクロスミ様をおろそかにしたためではないかと考えて、ホコラを囲う小堂をつくり、それだけでなく、由来を書いた説明板と、街道脇にクロスミ様…

木で作る話

ずいぶん久しぶりに筑豊山中の木工の展示会に顔を出した。夫婦と帰省中の長男と3人、正月のドライブを兼ねて。工房「杜の舟」の主人内野筑豊さんは、絵や文もたしなむ才人で、常に新たな造形を生み出す作家性と、ていねいに作品を作りこむ職人気質を兼ね備…

情報端末としての神々

以前のことになるが、初詣で渋滞する道路の脇に小さな神社を見つけた時、ご利益のある有名な神社の近所にわざわざ小社がある理由が腑に落ちなかったことをよく覚えている。やがて「大井川歩き」を始めて、村ごとに氏神や産土(うぶすな)といわれる村社をま…

安国寺で足利尊氏に出会う

人間の顔がどれも同じに見えてしまうという病があるそうだ。たしかに人の顔はどれも似たり寄ったりのはずだが、そこに様々な表情や美醜、精神の高下まで読み解く能力は、ふだん当たり前のように使ってはいるものの、特別な力なのだろう。人の顔を覚えるのが…

如来田の道元

仕事の関係で、山間の禅寺を訪ねる。如来の田という美しい名前の土地で、700年以上の歴史をもつお寺だ。古びた石仏が並ぶ境内の隅には、コンクリート製の代替梵鐘が置かれている。戦時中、武器生産のため釣鐘が供出されたあと、木造の鐘楼がぐらつかないよう…

「運慶」展で高僧に出会う

話題になってるから、というくらいの理由で、上野の運慶展に立ち寄る。東京国立博物館は、平日なのにかなりの人の出だった。素人目にも、運慶の手がけた彫像は、力強さといい繊細さといい、抜きん出た印象を受ける。その中で、遠目にも、たたずまいが全く異…

荒神 宮部みゆき 2014

今年になって文庫化。恐ろしい山の神がもたらす災厄を江戸時代の山村を舞台に描いていると聞いて、ふだん手にしない人気作家の長編を読んでみた。おそらく娯楽小説としてよくできていて、とくに結末に向けてどんどん物語にひきこまれた。ただ、読書の関心が…

黒住教祖逸話集 河本一止 1960

「教祖様の御逸話」(これが正式書名)として、昭和14年から19年まで連載されたものを戦後に教団が発行したもの。もう10年ほど前になるが、大井川流域の石祠クロスミ様の由来を調べているとき、名前が似ている黒住教の遠方の教会所に飛び込みで訪ねたこと…

ヤドリギ

散歩の途中、遺跡公園の落葉樹の高い枝に、そこだけ丸く葉が残ったところがあるのに気づいた。直径50センチばかりの球状に黄色い葉が茂っている。 鳥の巣だろうか。後で知人が、ヤドリギだと教えてくれた。古代から神聖視され、人類学の古典『金枝篇』の金…

初詣

戦中派の父にとって、天皇制と神道は不倶戴天の敵だったのだろう。我が家では、初詣に行く習慣すらなかった。 そのせいか僕は今でも、本心から何かに祈ることができない。 博多の街で神仏に囲まれて育った妻と暮らして、そう思う。

遥拝説発見!

「江戸っ子は、富士塚に登拝して、富士山登拝と同じ現世利益が得られると喜び、塚の頂上から富士山を遥拝した」『富士山文化』竹谷靱負より

富士見公園

崖の上の小さな公園で、富士山に正対するようにベンチが置かれていた。 現代のシンプルな遥拝施設。

初庚申

勤め帰り1時間ばかり並んで、猿田彦神社にお参りした。 博多の古い町並みで戸口によく見かける、小さな猿面を授かる。 さる、だから災難が去る。 博多っ子の妻には、懐かしくも頼もしい門番となるはずだ。

富士塚

ビルの谷間の街中とは違って、郊外では、数メートルの盛り土の富士塚でも、はるかに富士が見通せる。 塚にまつった浅間神社の参拝だけでなく、富士山の遥拝が目的だったのでは、とふと思った。