大井川通信

大井川あたりの事ども

フィギュアを買う

少し前に、10年近く遅れてアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006、2009)を見て、その内容に驚いた。そのあと、これも名作だと評判の高い『魔法少女まどか☆マギカ』(2011)に衝撃を受けて、すっかり夢中になってしまった。何ごとに関しても飽きっぽく、消化吸収力の虚弱な僕のことだから、アニメの鑑賞はほとんどこの2作品にとどまっているが、それでも50歳を過ぎて、アニメというものに対する認識を改めることができたのは幸いだった。

これはそのときの話。アニメにはまると、キャラクターというものが気になってくる。『ハルヒ』では無口なアンドロイド長門有希、『まどマギ』では孤独な戦士暁美ほむらが好きになった。わりとありがちという気がするが。それで、ネットで情報をあさっていると、やはり彼女たちのフィギュアというものが目に入ってくる。

フィギュアか・・・しかし、これに手を出すことは、何か越えてはいけない一線を越えてしまうような気がする。年齢も年齢だし、家族の目もある。それでずいぶん悩んだが、そんな時人間は都合の良い理屈を思いつくものだ。

考えてみれば、僕はすでに鉄人28号のフィギュアを持っている。アニメの好きなキャラクターということでは、鉄人も長門有希も同じである。すでに一線はこえているじゃないか。それに、僕は暁美ほむらというキャラクターに敬意を抱いている。尊敬する人物の肖像を飾ったり、立像を敬ったりすることは、古来人間が行ってきたことで、まったく恥ずべきことじゃない。

それで、アマゾンで二人のフィギュアを注文することにした。届いた品物は、キャラクターを上手に立体化したもので、十分満足と納得のいくものだった。

それから、どうなったか。恐れていたように一線を越えることなく、二人のフィギュアは、鉄人といっしょに棚でホコリをかぶっている。やはり僕には、人形はだだの人形にしか見えなかったのだ。しかし、自分がそんな凡庸な感受性の持ち主でしかなかったことには、やや失望する気持ちもなくはない。