大井川通信

大井川あたりの事ども

奇想・奇天烈男

「奇想奇天烈・きそうきてれつ」という言葉はない。奇想天外(思いもよらない奇抜なこと)と奇妙奇天烈(ひどく変わっていて不思議なこと)とが混ざった造語だろう。

最近、妻から、あなたは奇想奇天烈だと指摘される。

意外だった。おかしいといえば、もともとおかしかった。それを今になって言われるとは。しかも、定年になって、そうなったのだと言われる。いや、職場が変わっても、以前より一生懸命に働いているし、自分としては特に変わった部分はないように思う。

妻によると、責任が軽くなった分、おかしな中身が出だしたのだという。

これはそうかもしれない。軽いウォーキングシューズにリュックという軽装での通勤は本当に快適だ。マイペースで仕事を仕上げ、周囲より早く職場を出られる。生活の中で、自分らしさの比重がだいぶ上がっているのだろう。

今日も駅からいつもとはまったく違う道をあるいて帰宅する。複雑な地形と街並みは、わが大井川歩きの舞台だけあって、あきさせない。ただ、ゆっくり本でもよめるカフェみたいな場所がないのが玉にキズだと思う。

ふと、途中の児童公園に寄って、ベンチに座る。ここは子供たちに自転車の練習をさせた場所だ。今の季節なら、虫を気にせず休むことができる。そこでしばらく文庫本を広げてみた。帰宅途中に児童公園で本を読むなんて、おそらく生まれて初めてだ。

ちょっとしたことだけど、こんなところが奇想・奇天烈たるゆえんなのだろう。