大井川通信

大井川あたりの事ども

『知覚の呪縛』を読む(その2 概要)2007.4.20報告 

【序】

精神分裂病という命名に対応するような、固定された実体としての精神的異常態は存在しない。途方も無い背理の渦巻きとして生きる病者の全体に迫ろうとする行為において、分裂病という名称を適切に用いることができる。(見てばかりではいけない。聴くべきである。)

分裂病者Sの生い立ち

・昭和7年(0歳)関東地方の大都市で生まれる。6人兄弟の5番目。高等小学校を優秀な成績で卒業。

・昭和20年(13歳)父が死亡。一家は空襲で焼け出される。自宅に閉居し、編み物の内職を続ける。

・昭和32年(25歳)根気がなくなり、内職ができなくなる。

・昭和33年(26歳)身の回りの事もできなくなり、立居振舞に変化がでる。7歳上の兄が分裂病を発病し、暴力を受ける。

・昭和39年(32歳)身の回りの世話をしてくれた母が死亡。街中を徘徊し、「本当の家はどこですか」と問うようになる。  

・昭和40年(33歳)精神病院に入院。

・昭和47年(40歳)「トグロ巻き」を始める。

・昭和50年(43歳)著者が主治医となる。

・昭和60年(53歳)『知覚の呪縛』執筆。

・平成13年(69歳)文庫版あとがき

【世界没落】

▼「世界中が変わって崩れて、ウチカタ(ワラの家)にヒトカタ(ワラ人間)が住んでいる。絵みたいにひらべったく、ワラかカミでできている。ウチカタから本当のウチに戻ろうとキチガイみたいに走りまわった。入れられたものなら必ず出口があると思って。」

※知覚される一切の事物は平板化し、自然な奥行きや立体感を失い、事物と事物の結びつきも緩んでいる。にもかかわらず、知覚自体は完全に元のままである。

▼「ワラ人間はオタチギエするが、何度でもタチアラワレる。」

※ワラ人間が包囲する「ワラ地球」とは、Sのそのつどの知覚現場、五感の届く領域のことである。その外部に事物や他人が去ることが、オタチギエ=ナクナスである。

※知覚的・非知覚的という存在性格の差異が、一気に存在資格の有無にすり替わる。オトチ=元の地球に帰ってしまう。

▼「ワラ地球のお隣には、オトチ(お土地)がある。ワラ地球は、オトチの上を飛んでいて、オトチに降りていけない。全宇宙が宇宙旅行をしている。」

※オトチは、ワラ地球の事物をナクナスような強力な特性をもち、Sの戻りたいという欲望の比類の無い対象となっているが、他方ではトギレトギレで毎日造りなおす必要のあるような脆弱なものにすぎない。

【瓜二つの世界】

▼「トグロ巻きで、ワラ地球をオトチに変える。ワラをマトにオトチのオタカラ(お宝)を採集する。マトになったワラは、ナクナルが、オタカラになって残っていく。一周するとオトチになる。」

※直径2,3メートルの円環を描きつつ歩き回ることで、知覚的世界(ワラ地球)と非知覚的世界(オトチ)が、極めて迅速に流動的に交替し続け、連続体に合流していく。ワラ地球からの出口を探し、没落した世界を復活させるための孤独な知恵である。

▽オトチ・オタカラの特性 ― 実体的思い

①Sの知覚現場(ワラ地球)の時空的に外部に存在する。「お隣の世界」

②ワラ地球と瓜二つの模擬物である。「ワラとマゴウカタナシ」

③無価値なワラ地球に対して、原物・起源としての存在強度をもつ。

「オトチあってのワラ地球」「オヤグニ、モトの地球」

④Sの知覚現場以外の一切の非知覚的世界である。「見えないし、触れたこともない」

【知覚の呪縛】

▽「田舎者-門番-掟」(カフカ『掟の門前』)においては、掟のみが呪縛の元凶=不可知の起源となっているが、「S-ワラ-オトチ」の三項関係(Sの世界地形)においては、呪縛=禁止の関係は入り乱れて、起源のない模擬物同士が浮遊する世界となっている。

※Sは、オトチへの欲望に呪縛されることで、オトチによるワラ化の力にいっそう呪縛されてしまう。こうしてS自身が、知覚を呪縛=禁止するものとなる。

▼知覚(現在只今)の呪縛とはワラの呪縛であり、それは実はオトチの呪縛である。

【他人の消去】

▼Sにとって他人以前・他人以下の者でしかない著者の実感からすると、「先生はワラでございます。オトチに先生の実人間がいらっしゃいます。」という言葉には、無意識的殺意が含まれている。他者・他所の消去・破壊は、S当人を排除した欲望(欲動)によってそのつどすでに遂行されてしまっている。

▼Sの世界は「世界二重化特性」をもち、著者は二人の「死人」へと分割・消去されている。一方、「オトチには歩いていける」という言葉に示される「二世界地続き特性」が強いときには、著者は一人の「死人」となり、Sの拒絶がやわらぐのを感じられる。

▽人間は、ここの肉塊でなく、あそこの他人・他所において自分になる。Sの背理は、死人・死所を鏡として自分になるしかないということにある。

【肉体自我】

▼「隠れきれない、現れっぱなしの異常人間。鉄のような人間、鋼鉄棒人間、今の私がありすぎる。」他人という鏡が無い以上、Sは自力で、物として存在する肉体の助けを借りて自我にならなければならない。Sにおいて肉体と自我は端的に同じである。

▽肉体自我は、過剰な露出によって、消去したはずの他者によって簒奪される。

▼Sの肉体感覚は、ワラ化(無機物化)する。一方、肉体内空間はオトチと化し、ものものしい存在感を伴いながら、四分五裂する。「崩れ、散らばり、全身穴ぼこだらけ。」

【言葉】

▼Sの言葉はSの世界でだけ通用する独白、造語による呪文である。著者には、オトチという呪文言葉の機能を理解できても、オトチの存在資格を自分の世界のなかで容認することは絶対にできない。

▽Sは、著者とほぼ共有するワラ地球の言語コードと、呪文言葉のコードとを持っている。

▼Sは「だそうです」という語尾を多用して、他人事のように切実な事柄を語る。Sの言葉は、実体的思いに拘束された肉体自我、というSならざる「他者」の言葉である。

【禁止と交流】

▽Sとの間の禁止された交流を行うためには、Sの世界地形の中に組み込まれた著者自身の姿に注目することで、その地形の変形(地殻変動)を求めなければならない。

▼著者は、二人に共通のワラの言葉でSの地形を語り分節化してしまうことで、オトチという呪文の力を奪おうとする。「このごろ、オトチ近いです」

▼Sの手を握りつつ面接したことで、Sが著者によって全裸で診察されるという幻想(著者の他人化)とともに、Sの肉体自我は性的存在として統合の兆しを見せる。一方、その反動として、肉体自我の無機物化も激しくなる。

▼Sに喜怒哀楽や美醜についての感情的な発言が見られ、ワラの活物化が始まり、著者が人間となりつつある。そんな中で、Sが著者の手の甲に接吻するという出来事が起こる。「ワラだからいいんです。」ワラへの嫌悪が弱まり、オトチという言葉を口にしなくなる。