大井川通信

大井川あたりの事ども

漱石先生ごめんなさい

東京都現代美術館の帰り、地下鉄東西線木場駅で乗車したので、早稲田駅で途中下車してみた。漱石ゆかりの場所を見ておきたいと思ったからだ。

漱石山房の跡地は、今は漱石記念館になっている。文学館ではないから収蔵資料はあまりないのだろうが、晩年の漱石が9年間生活して主要作品を執筆し、木曜会に多くの著名人が集ったという場所の力はすさまじい。見どころは、復元された書斎(漱石のくつろいだバルコニー付)と猫塚くらいだが、十分満足感があった。

周囲が傾斜地で大規模開発が進まず、細い坂道が縦横に走っているなど地形があまり変わっていないこともいい。近くに震災復興建築である早稲田小学校の現役の校舎(1928)があるのも趣きを添えていた。

ショックを受けたのは、地下鉄の駅に戻った時だった。4年間乗り降りした地下鉄駅出口の交差点をはさんで反対側に漱石生誕の地を示す石碑が立っていたのだ。僕は毎日漱石の実家跡を見ながら通学していたのだ。漱石は中学校以来の熱心な読者のはずだったのだが、そんなことにも気づかなかった。もちろん、歩いて10分の漱石山房跡を訪ねてみようとも思わなかった。

漱石先生ごめんなさい。僕は本当に視野の狭い、要領を得ない人間です。せめて生誕の碑のある「やよい軒」で昼食を食べて漱石の霊を弔った。

大学キャンパスにも寄ってみる。多くの校舎が高層建築に建て替えられていて、以前よりずっと現代的な大学のイメージだ。そんな中、僕が大学一年でマル経の講義を受けた7号館(1951年)がもとのままなのはうれしかった。

大隈講堂はやはりいい。最近、非対称の講堂が大学の正門に正対せずに斜めに建てられていることの効果(視線を受け流して圧迫感がない)を教えられたが、ボリュームのある時計塔が大きな冠を被った人間みたいで親しみを増している。

近頃話題の国際文学館(村上春樹ライブラリー)による。4号館は大学祭の時に柄谷行人の講演(固有名論と坂口安吾論)を聞いた思い出があるが、隈研吾の設計で改修されている。村上春樹漱石のように末永く読まれる作家になれるのだろうか。