大井川通信

大井川あたりの事ども

『深き心の底より』 小川洋子 1999

小説家小川洋子(1962-)の初期のエッセイ集。

小川洋子は、映画化されたベストセラーを書いているような有名作家だから、僕には遠い存在だった。ただ、小さな接点があることは気づいていた。

あらためて調べてみると、彼女は昭和37年の早生まれで、僕とは同学年だ。早稲田大学に現役で進学しているから、同じキャンパス(正確には少し離れているが)で4年間の学生生活を送ったことになる。

全国で同年齢の人間は100万人以上いるだろうし、マンモス大学で同学年といっても、偶然すれ違う事があるかないかくらいだ。ただ人生も晩年に近づいて、若い世代に主役を譲った後では、こうした縁がとても貴重なものに思えるようになった。

小川洋子佐野元春(1957-)のファンだ。佐野のアルバムにエッセイを書いたり、雑誌で対談をしたりしている。僕も20代から佐野のファンで、長く聞き続けている唯一のアーティストといっていい。佐野の楽曲をモチーフにした短編集の文庫だけは、僕も積読でもっている。

今回、この本を手に取ったのは、彼女が金光教の教会の離れで生まれ育っており、そのことに触れたエッセイが収録されていることを知ったからだ。金光教について書いたものを読むと、彼女が深くその信仰の環境から影響を受けて、それを内側から自分の言葉で咀嚼しているのがわかる。「寛容」がその理解の中心にあるようだ。

小説家のエッセイを久しぶりに読んだが、はじめは気取りや飛躍の要素が気になったものの、しだいに引き込まれて苦も無く読み通すことができた。ブログでガサツな雑文を書き散らしている身には、ごく短いエッセイの言葉の密度に圧倒される。文章に流れる同時代の香りにも。

大学時代彼女が生活していた金光教学生寮は小金井にあって、僕の実家に近いだけでなく、大学後半もぐりで授業やゼミに参加していた東京経済大学のごく近所だったことを知った。このエッセイを執筆時暮らしていたらしい新倉敷駅周辺は、長男が新社会人として二年間生活した街だ。

こうした小さな縁の一つ一つがうれしくて、彼女の小説を読んでみたくなった。