大井川通信

大井川あたりの事ども

金光教東京学生寮に頭を下げる

東京を出立の日の朝、国分寺駅前の姉のマンションを出て、朝の散歩をする。この旅行期間中風邪が抜けなくて、思うように予定はこなせなかったが、今朝はなんとかいい気分で朝歩きを楽しめそうだ。

駅からは、早稲田実業の生徒たちと一緒になる。昔は大学の近くにあった早実も今は国分寺に移転して、新設された初等部の生徒も通っている。早実を過ぎて学芸大学正門前に。ケヤキ並木の向こうでかつての同僚大村先生の奮闘する姿が目に浮かぶ。

今日の目当ては、学芸大近くの金光教東京学生寮だ。小説家の小川洋子さんが入寮していたころとは様変わりしてしまったのだろう、一続きのおしゃれなアパートになっている。とりあえず、門の前で天地書付をとなえて頭を下げる。

門前の細い道を下ると、中央線をくぐってすぐに東京経済大学のキャンパスだ。小川さんが寮から早稲田に通っていた当時、彼女と同学年の僕は早稲田と東経大を行き来するような生活をしていたのだ。

中央線の手前の路地に、文政5年の年号の刻まれた庚申塔がある。東京の庚申塔だから、腕が6本の青面金剛の足元に見ざる聞かざる言わざるのレリーフが彫られた可愛らしい石塔だ。九州では簡素な文字塔が主流になる。文政5年(1822年)と言えば、後に金光大神となる文治が9歳ではしかにかかった年だ。金光教の寮が間近の石塔だからそんな連想を誘う。

東経大の正門前から、僕も良く使った通学路の坂を下る。大勢の学生たちとすれ違う。かつての僕がそうだったように、様々な思いと事情をかかえてこの大学に通っているのだろう。彼らに密かにエールを送りつつ、国分寺の駅ビルを目指す。