大井川通信

大井川あたりの事ども

また身の下相談にお答えします 上野千鶴子 2017

上野さんが新しいフェミニズム論をひっさげて活躍していたころ、僕も若かったこともあって、だいぶ影響を受けた。冷戦終結の頃と思うが、社会主義がテーマの大きなシンポジウムで、壇上にいた大御所のいいだももが、フロアの上野に向けて「理論的挑戦をしたい」と呼びかけた場面が、時代の一コマとして記憶に残っている。そのあと彼女は、戦闘的なフェミニストの象徴として『上野千鶴子なんかこわくない』なんて本が出版されるなど、何かと話題や批判の対象になっていく。老後論でベストセラーを書いたり、若手の社会学者を育てたり、本格的なケア論を書いたりという多彩な活動を遠くから眺めるだけになっても、自治体主催の講演などがあれば話を聞きにいった。内容だけではなく、その場での立ち居振る舞いがとにかく見事で魅力的だった。

ただし、ここしばらくは、「右傾化」の流れで逆風にさらされている印象もあった。昨年、近隣の市主催の講演会に名前を見つけて、おやっと思ったのだが、この本を読むと、今や上野さんは全国紙の身の上相談の名回答者として人気を博しているそうだ。ゾンビみたいに何度も生き返る人だ。

この本の相談者たちの親子関係や夫婦関係や性の問題は、ことごとく「変」である。ただ、たまたま打ち明けないだけで、誰もが密かに「変」を抱えているだろう。僕自身が実際にそうだ。岸田秀のように人間を「本能が壊れた生物」と定義すれば、「変」がむしろ本然の姿ということになる。海に挑み続けるカマキリみたいに、人間は不可解で不条理な存在だ。しかしそれがわかったところで、悩みや葛藤が消えるわけでもない。だからと言って昨今のメディアの論調のように、不倫や教育や家族について「倫理」や「正解」を振りかざしても、問題はこじれるだけだろう。「変」であることに悩み、なんとか「変」と折り合いをつけて、いやむしろ「変」そのものとして、よりよく生きていきたいと思う。そういうふり幅の大きな実際の人間のあり方に対して、上野の指南は正確で、あたたかい。人気があるのも当然だと思う。

ずいぶん若いころ、地方の公民館の集会で、上野さんの理論書にサインを求めたことがある。若い男性に来てもらえるのはありがたい、とお世辞を言われ「連帯のために」という言葉を添えてくれた。実はそれ以来、上野さんをどこかで異性として意識しているのだが、これもまたずいぶんと「変」な話である。